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11月19日。案の定、空港では荷物を預けるのにかなりの時間がかかった。このあたりは、日本の航空会社に比べて、かなり対応が悪いといわざるを得ない。つうか、ひどい。
やっとの思いで荷物を預けて、チェックイン。少し時間があったので珈琲を飲んだり、買い物をすることにした。カフェではまったく英語が通じなかった。どの店員さんも早口のスペイン語でワーっと話しかけてくるのだ。「俺はスペイン語を話せない」と英語で伝えても、なんの躊躇もなくスペイン語で話してくる。これにはとても強いカルチャーショックを受けた。エスプレッソマシーンのところにいた無愛想な店員だけが、ぶっきらぼうな英語で俺に「座って注文」と伝えてきたのだった。
搭乗口付近でボーディングを待っていると、飛行機の遅延がアナウンスされた。かなり遅れるらしかったので、ソファで小一時間眠った。それでもまだ飛ばず、眠っては起きを繰り返しているうちに飛行機の遅延は乗り換えに支障を来たすくらいにまでずれ込み、結果、ペルーのリマでの乗り換えが不可能ということが宣告されてしまい、俺たちは飛行機をキャンセルして一度空港の外に出る羽目になってしまった。ここからがキツかった。
選択肢はふたつ。ブエノスアイレスの別の飛行場から4時間後のサンチエゴ(チリ)行きの便に乗り、サンチアゴで乗り換えてメキシコに移動。もしくは、同じ空港の16時の便でサンパウロまで移動して、翌朝5時にメキシコへ着く便に乗り換える方法。
まずは比較的肯定にゆとりがあり、何かあっても対応が柔軟にできそうなサンチエゴ行きを選択することにした。今回のツアーはサンチエゴでのイベントのスタッフがいろいろ協力してくれているので、そのほうが安全だというアイデアだった。けれども、一旦預けた荷物がなかなか出てこず、さらに出てきた荷物が別空港へ移動するためのバスの荷台に乗り切らない。しかも運の悪いことに、高速道路は大統領選挙についてのデモで大渋滞。こちらのアイデアは実現が絶望的になってしまった。
仕方がないので、かなりキツいけれど、サンパウロ経由の方法を選ぶことにした。またしてもチェックインカウンターに並んで荷物を預けることに(現地スタッフのゴンサーロによると、俺たちが預けたあとに機材や楽器をボンボン放り投げて積み込んでいたとのこと。ゴンサーロは激しく抗議したらしい)。これには相変わらず時間がかかったし、担当職員が引き継ぎが途中にもかかわらず定時で帰ろうとするし、なんとも黙り込んでしまうような状況だった。ひとまず、休憩用のホテルを用意してもらって、朝食を摂って、仮眠。しんどい。
2時間ほど仮眠して集合、空港へ。デモを考慮して早めに集合したのだけれども、激しい通り雨によってデモ隊は解散、高速は空いていて空港に早く到着してしまった。荷物は既に預けてあったので今度は余裕を持ってチェックイン完了。結果、時間をかなり持て余すことになった。仕方がないので、またしてもエスプレッソを飲んでぼーっとしながらボーディングの時間を待った。
飛行機は無事に離陸。サンパウロに到着。3度目のサンパウロ空港に辟易としていたけれども、存外にサンパウロの街の夜景が美しかった。アップダウンのある土地に引かれた道路で区切られた街は、棚田のようでもある。このあたりは、四角に区切られた大阪とか京都とか札幌の感じとは違う。生き物の細胞のようでもあって面白い。
サンパウロ空港では、出国審査に一番近いあたりのハンバーガー屋は店員が遊んでしまって料理をなかなか作ってくれないだとか、奥に日本食のイートインがあるだとか、フリーのWiFiが60分限定だとか、なんだか親しみすら湧いてきてしまうほど内部の構造に詳しくなってしまっていた。もっともまともなグリルレストランでビールを飲みながら時間を潰して、メキシコ行きの飛行機に搭乗。
ロングフライト。