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11月18日。まずはランチ。スタッフのシンシアのアテンドで、昨日のトラディショナルなレストレンとは雰囲気の違った現代風=トレンディなレストランまで散歩。店員さんが皆お洒落で、代官山とか恵比寿のカフェのような店だった。
昨夜の絶品肉料理のお陰で、冷え切った肉料理対する欲求がフラットにまで復活していたけれども、ヨーロッパから肉攻めが続いていることを考慮して、魚料理を食べることにした。鱸のような白身魚を焼いて薄っすらカレーの味のするソースがかかった料理を注文。付け合わせにはクスクス。山さんは『ヤマニライス』とかいう、生米から作ったチャーハンみたいな食べ物を注文していた。「ヤマ」という響きが気に入ったのだろう。醤油と油でまみれたスーパーアルデンテのような米と牛肉、鶏肉、モヤシ、パクチー、という感じの食べ物で、味は普通に美味しかったけれど、山さんはパクチーを全部残すという子供のような食い方をしていた。ミツバなども苦手らしいので仕方あるまい。
食後も市内をすこし散歩。やはり煙草の吸い殻と犬の糞と下手なグラフィティが至るところで目に付く。けれども、なんとなく、そういうところも含めて調和がとれているようにも感じた。通りを乱暴に走る車たち、せっかちに鳴らされるクラクション、レトロな街並み、時折顔を出すファンシーなお店、薄暗い土着のソーセージ屋、全部含めてブエノスアイレスなんだろうなと思う。またゆっくり来てみたい街だと思った。
少しの休憩を挟んでライブハウスへ移動。テロの被害にあったパリのバタクランを少し思わせるレトロな作りのベニューだった。ブラジル公演に引き続いてかなり広い。1000人以上は収容できるキャパシティの会場。
楽屋ではケータリング担当のお母さんがいろいろなものを作ってくれた。コーンスープも美味しかったし、俺の喉のことを考えてジンジャーレモンティを作ってくれた。ピンチョスという串焼きもとても美味しかったし、どこで仕入れたのかネギと豆腐の味噌汁まで出してくれて、感激した。お母さんだけでなく、スタッフも皆一様に親切で、とても嬉しかった。あくまでこれはブエノスアイレスの一部を切り取った風景だけれども、こういう人たちに出会うと、一気に街の印象まで最高になってしまうから面白い。僕らが日本でどこかの外国人に接するときにも、こんなふうにあると、きっと日本のことをもっと気に入ってもらえるんだろうなと想像した。
ライブはとても盛り上がった。日本から見れば地球の裏側にあるアルゼンチン。最果てといっても過言ではないんだけれども、遠く離れたこの地で、こんなにも熱狂的に迎えられるとは思っていなかった。日本語での合唱もすごかったけれど、ギターリフをサッカー観戦のチャントのように大合唱してくれることに驚いた。例えば、ソラニンの冒頭のリフでは「オーオーオー」と建さんのギターを覆い隠してしまうくらいの音量で観客たちが歌い、それが本当にサッカー場のそれのような響きで、迫力があった。なんとも言えない感動があった。
アンコールでは、地元のファンのチームが用意してくれたアルゼンチン代表のユニフォームを着させてもらった。「普段、絶対しないよね」とメンバーにはからかわれたけれど、背中にGOTCHとプリントまでしてくれていたことにも感激したし、何より俺はブエノスアイレスにものすごく惹かれていたし、お母さんやスタッフの優しさも味わっていたし、なんだかユニフォームを着たくなってしまったのだった。観客たちも喜んでくれているようで嬉しかった。
終演後は寝る間もなく荷物を詰め込んで、空港に移動。夕食を食べる時間もなかったけれど、とにかく楽器や機材を預けるのに時間がかかるので仕方がなかった。この後の波乱の日記は翌日分へ。