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11月14日。ホテルに戻っていろいろな人の投稿を見るうちにに、テロの現場が2013年に訪れたバタクランというベニューであることを知った。渋谷AXのキャパシティをそのままにレトロな雰囲気に造り変えたような建物で、俺たちの初めてのパリ公演を行った会場だった。貧困な想像力を飛び越えて、実際の光景としてバタクランの風景が脳内に残存していたので、大変にショックを受けた。あの思い出の、忘れならないベニューでと思うと、なんとも言えない気分になった。重い。
黙して祈るしかできない。
とても困難な時代であることがいろいろな場所で露呈されているわけだけれども、ある種の決定的な機会になりはしないかとビクビクしている自分がいる。事実、これから我々が欧州でツアーを行うのならば、このようなテロの標的になる覚悟を、頭の片隅に入れておかなければならない。とても恐ろしいことだ。そして、これは西側の視点で、そのこともショックだ。俺は徹底的に欧米の側の視点に立っていることについても、もっと考えないといけないと感じた。
もちろん、ムスリムの全てがテロリストであるというような盲信に加担したくない。けれども、例えば上記のような言葉を、圧倒的な切実さを持って発するには、自分と問題との距離が少し離れていて、どのような言葉を紡いでいいのかも分からない。なにか「正しい」ふうのことを書きつけても、空虚さだけが浮かび上る。
今は、祈ることしかできない。でも、どこかで地続きの何かが、僕らの国で起きていることにもタッチしているはずだと思う。だから、途方もないと投げ捨てずに、途方に暮れることも含めて考えることを放棄しないでいたい。
一休みして昼くらいに起床。お腹の調子が良いので、ホテルのレストランでホームメイドとうたわれているトマトと牛肉のスープを飲んだ。ワンタンのようなヌードルとズッキーニなどの野菜のみじん切りが入っていて、お腹に優しい感じだった。5ミリ角の牛肉片もたっぷり入っていたけれども、それは5カケくらいにしておいた。とても美味しかった。
その後、16時に集合して会場へ。ファンと対面するイベントに参加。最初はハイタッチか握手という説明だったけれども、せっかく高いチケットを買ってイベントに参加しているわけだから、ハイタッチや握手ではおかしいだろうと、サイン会に変更してもらった。200人くらいの現地のファンと挨拶、そしてCDやTシャツなどにサインを行った。
20時過ぎから本番。会場には6000人(俺の感覚では)から8000人(潔が言うには)の観客が居り、とても驚いた。大変な歓声で迎えられ、なんとも信じられない音量の大合唱などを経て、Foo Fightersにでもなったような気分だった。ものすごく熱狂的なオーディエンスで、本当に感動した。いつか海を越えたいという願望を宿したバンド名も、当時はアニソンなどと同業者などからも馬鹿にされた楽曲たちが、願い通りに生き生きと南米の地で鳴り響いたことも、とても誇らしかった。素晴らしい夜だった。スタッフや仲間たちと信念を貫いてきた成果だと思う。
終演後はホテルのレストランで魚介のスープを飲んだ。「チリの魚介は諦めるさね(静岡弁)」と医者は俺に忠告していたけれど、固形物を摂取しなければいいだろうと考えて、貝がたっぷり入った塩味のスープを飲み、建さんのビールを一口だけ舐めさせてもらって就寝した。翌朝はブラジルに移動のため、4時に集合とのこと。