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11月13日。ホテルに篭ってずっと寝ていたので腰が痛い。少しずつ空腹を感じるようになってきたので、日本から持ってきたしじみの味噌汁を飲みながら、引き続き横になって午前中を過ごした。噴水のようだった私の下半身事情にも少しずつ好転の兆し。屁もこけるようになってきた。気分が良くなり、調子に乗って思い切り屁をこいたところ、パンツを一枚ダメにしてしまった。情けない。
午後になって現地のお医者様が来てくれた。日本人(日系人?)の医師の方で、日本語で症状を伝えて、薬を処方してもらうことができ、精神的にも助かった。でも、しばらく日本語を話していないのか、カタコトであるようにも感じた。気になったけれども、なぜチリに住んでいるのかなどの詳しい経緯を聞いている場合ではなかった。いろいろな問診があったけれども「赤痢ですか?」という質問にはもう一枚パンツをダメにしてしまうところだった。赤痢かどうかは俺には分からない。
先生によると腸炎は収まってきているので、お粥などから食のリハビリをはじめるようにとのこと。ただ、チリでお粥をどのような方法で摂取していいかが分からない。なので、もうしばらく食事は控えて様子を見ることにした。また、先生曰く「チリは海産物が有名だけんが、バカみたいに食べたらまた悪くなるでね。ちぃ〜っと我慢せにゃあいけんよ(静岡弁)」ということだった。寂しい気持ちになった。けれども、先生の娘さんたちが我々のファンであることを伺って、少し気分を取り戻したのだった。
夕刻前に集合して、『JAPAN EXPO』の会場へ。しばし待機の後、レッドカーペットを歩いた。もの凄い数のチリ人、ほかの南米の国からやってきた人たちに歓迎された。とにかく熱狂的だったので驚いた。50、60メートルくらい歩いて、脛丈くらいの高さの壇に上がり、イベントの幕にサインをした。
その後はメディアカンファレンスというイベントに参加。一万人くらい収容できるアリーナのメインステージの上で、他の出演者と共にインタビューを受けた。アリーナにはVIPチケットを購入した参加者たちが数百人。土屋アンナさんやコスプレイヤー、ファッションデザイナーなどと一緒にいろいろなことを尋ねられたのだけれど、俺はあまり頓知の効いた応えを返せず、友達が少ないということが観客たちに知られたのみだった。
その後、23時くらいまで楽屋で時間を潰して、リハーサル。結果、天辺を越えて、25時くらいまで音響や機材のチェックを行った。かなり広いので、うわんうわんと音が跳ね返ってきて難しかった。まあでも、欧州ツアーの過酷なライブ環境を思えば、やりやすいほうだと感じた。
ホテルに戻って、パリでのテロ事件についての情報を収集した。