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ライジングサンに出演してきました。65回目の終戦記念日の日も、確かサンステージに出してもらったはず。そのときはMCで「今日は65回目の終戦記念日です」と言って、会場はなんとも言えない空気だったように思う。寒っ!って思われたかもしれない。今回はそういうことは言わずに、黙々と演奏しました。でも、いろいろな思いは楽曲に思いは込めたつもり。そして何より、とても幸せな空間を観客や仲間たちと共有できたことが嬉しかった。それが何よりの反戦的な行為のひとつだから。こういうフェスが、何十年も続くといいなと心の底から思う。
最初に自分の国がかつて行った戦争を意識したのはいつだったろう。
三年生のときに通っていた小学校がふたつに分校されて、僕は新しい小学校に通うようになった。その図書コーナーには戦争マンガがいくつかあった。友人のうちのひとりがその内容を面白おかしく語っていて、それで興味を持って、戦争マンガを読むようになった。でも、内容はちっとも面白いだなんて言える内容ではなく、ただ単に悲惨だった。戦場で腹を空かせた兵隊たちの話だった。
そこには悪夢のような話が書かれていた。空腹が耐えられなくなり、兵士の幾人かは、缶詰の上蓋で自分の尻の肉をこそげ落として食らったという話が書いてあった。なんとも言えない重さがあった。どうして腹ペコなのかはよくわからなかった。漠然と戦場とはそういうものなのかと思っていたけれども、大人になってからいろいろな本や文献を読むようになり、旧日本軍の補給がうまくいってないというかはっきりと杜撰だったことを知った。僕がそのマンガ本で読んだ話は断片的なものだろうから、その周囲に、あるいは別の戦地で、何がおきていたかは想像を絶する。亡くなった人それぞれにエピソードがあり、一言ではまとめられない悲しみが積み上がっているのだと思う。どこまで続いているのかわからない塔を見上げているような気分になる。
翻って、夏のロックフェスティバルは本当に幸せだ。好きな音楽を目一杯演奏したり、好きなバンドの音楽でゆらゆら踊ったり、なんだか奇跡のような瞬間だと思う。
祈ることはどこでもできる。いつだってできる。祈るように歌うことだってできる。あるいは踊ることも。それでも今日は特別な日だ。きっとこれから100年経っても、その特別さは変わらないだろう。今日という日付は、平和を祈念し、同時に悲惨さを刻みつけるための比喩としての碑でもあるのだ。そして、こんな特別な日は、もう増えないでくれと思う。淡々とした日常は擦り切れ一杯の悲しみで溢れそうだけれど、そこに浮かぶそれぞれの生活がささやかな喜びで満ちますように。8月15日。
※追記。年内にこの日記は別の場所に移します。基本的に無料で読むことができるものにしますので、アドレスが決まったらお知らせしますね。