『Wonder Future』 全曲解説 #10
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 全曲解説も10曲目です。「街頭のシグナル/Signal on the Street」です。前の曲のに比べて、質問がたくさん来ました。笑。人気あるんですかね。でも、質問がけっこう被っていたので、絞りました。すでに別の曲で答えていることもありましたので。

 

 

トンガリ=チギ=ペリチギ

この曲ではゴッチさんのギターの1フレットにカポがついていると思うのですが(間違っていたらすみません)アジカンの曲で奇数フレットにカポがつく事は珍しいと思いました。この曲のカポの位置には何かこだわりがあるのでしょうか。

 

カポタストは3フレットですね。そして、建さんと山さんは半音下げチューニングです。半音下げなので、奇数になってしまいました。

どうしてかと問われれば、キーが高かったからです。笑。最初に作ったデモのバージョンだと、ちょっと声が全体的に高くなってしまって、曲全体がさらにブライトに感じたんです。声を張って歌うのが大変なのに、なんか可愛い、みたいな、全体的に損をしている、というような状況でした。そういうところを解消させるためにキーを半音下げました。

 

こういう選択は、「こだわり」とかではなくて、徹頭徹尾「どう聴こえるか」と「歌ってみてどう感じるか」でしかないんです。

 

 

太鼓

こういう風に曲構成で1番サビからAメロに戻らずにCメロに行くパターンって疾走感みたいなのを意識してるんでしょうか……?

 

いや、この曲の場合、構成と疾走感は関係ないと思います。A(ヴァース)のパターンがもっとも疾走感がありますので。もう一度ヴァースに戻らないのは、曲が長くなってしまうからです。で、Cメロ(ブリッジ)に展開するのは、そのままサビにいくとなんだか物足りないからです。

 

疾走感は構成というよりはコード進行やビートで決まるんじゃないでしょうか。多分。

 

 

えんも

タイトルの「街頭」と、歌詞中に出てくる「街灯」。街頭のシグナルの象徴として街灯が登場してくるのでしょうか? なんか日本語って奥深いですね

 

舞台は街頭ですよね。でも、冒頭では田舎町の風景も挿入されています。それはなんというか、架空の街をイメージしたアルバム全体が「都会的なもの」になってしまわないように、こういう書き方をしたんですけれども。

 

街全体の灯りが明るくなればなるほど、街灯たちの役割って薄くなってしまうんですよね。太陽が現れる日中に、星がまったく見えないということにも似ています。宮沢賢治の作品に『シグナルとシグナレス』という作品があるのですけれども、作中で擬人化された街灯たちを思いながら(作中では信号ですが)僕も書いているのですが、ちょっとイメージが膨らむでしょうか。これ以上、歌詞に言及したくはないんですけれども。笑。

 

風景としては、「Winner Loser」に出てくる街頭にも通じているように僕は感じています。この曲のほうがちょっと視点が遠巻きですけれども。

 

 

 メガネくん

アジカンの中でも一番なんじゃないかというくらいポップだと感じました!何か特別なコンセプトはありましたか?

 

そんなにポップですかね。僕の解釈だと、「君の街まで」とか「ループ&ループ」のほうがポップだと思うんですけれども。ポップって言葉はいろいろな場面で使われますが、捉え方はひとそれぞれですよね。とっても難しい言葉です。

 

ちなみに、僕の考えではアジカンのアルバムでもっともポップなのは「ソルファ」です。異論は全面的に認めます。何しろ、曖昧な言葉ですから。笑。

 

 

いち( °д°)

アルバムの中で一番好きです! 勝手にWonderFutureのエンディングのような〆の曲と思っています。次のオペラグラスでは次回に期待しちゃうような曲なので。 この街頭のシグナルは何番目くらいに作ったのでしょうか?

 

僕は〆の曲って感じがまったく分からないのですが。笑。

 

でも、確かに「オペラグラス」は「これでは終われないよなぁ」というような雰囲気がありますよね。逆に「Wonder Future」のほうがアルバムの〆には合っているように感じます。ただ、「Wonder Future」だとアルバムだけじゃなくてバンド自体をやめなくてはいけないような感じもします。実際、何度か「Wonder Future」で締めくくって、バンドをやめようとも考えたのですが、「つづく」みたいな印象のある「オペラグラス」を採用しました。

 

これは、僕にとって結構重要なことです。

 

「街頭のシグナル」は11曲中10番目に書いた曲ですね。楽曲自体はもっと早くにありましたけれども、歌詞を書いたのは10番目です。

 

 

 なゆた

質問参加させてください! 歌い出しの「雨は夕べ」が綺麗な歌い出しで好きな言葉になりました。 後藤さんは「この言葉いいな」というものを書き溜めているのですか?それとも一曲ごとに浮かんでくるのですか?

 

僕は一切書き溜めないです。即興で書きます。そして、それを推敲します。

 

ただ、心象風景は溜められるんです。旅行とか、読書とか、映画鑑賞や音楽鑑賞でも溜めることができます。言葉時代を書き溜めておくよりも、こちらのほうが大事なんですね。あとは、言葉になる以前の感情なども大事なんです。それを、言葉で書き表すのが詩作でもありますので。

 

そういえば、随分前に一年ちょっとの間、毎日即興詩を書き続けるという作業をしてみたのですが、見事に、歌詞に使えるものはなかったです。いい練習になりましたけれども。

 

 

malica_mari (おばぁ)

短絡的とは思いますが全体を通しても「命は燃えているの」からもCan't  Be  Forever  Youngを彷彿させるように感じます。アジカンとGotchは別物とおっしゃってますが…お話聞かせて頂けたら嬉しいです

 

僕としては本当に、心の底から別物だと思ってやっているので、彷彿とさせているとしたら残念です。まあでも、同じ人間のやることですから、一部とはいえ、同じ匂いがしたってことなのかもしれないですね。「命は燃えているの」の一行で「ソロの感じをアジカンに持ってきてる!」ってなってしまうと、それはもう言葉に注目しすぎじゃないのかとしか答えようがないのですが。根底で通じている何かを、聴いている人が感じたならば、作った側としては否定しようがないです。笑。「そう感じるのか!」ってなもので。

 

 

前にも書きましたけれども、タイトルの「英語/日本語」は海外に向けてのものですし、特にソロを意識してとかではないんですね。作曲に関しても、バンドでは他の3人のアイデアがかなり入っていますし、僕が作った原曲としても、けっこうはっきり書き分けているつもりなんです。笑。コードの進行なんかも、「Signal on the Street」は、ど真ん中のアジカン進行ですし。

 

同じところではなくて、「違い」にも注目してもらえたら嬉しいです。

 

 

Hiroshi

曲解説すごく楽しいです。 ありがとうございます。 「この日々の憂鬱を」の部分がエフェクトがかかっていて、健さんの声に一瞬聴こえました。でもやっぱりゴッチの声かと思うのですがあってますか? またどこのコーラスを誰が歌うのかはどうやって決めていますか?

 

これは僕の声ですね。ニックがエフェクトをかけてくれたのですが、ここが素の音像だとちょっと退屈なんです。冗長な感じがするんですね。まあでも、それが分かったのは、ニックがエフェクトをかけてくれて、それを外したときだったんですけれども。事後的に。

 

コーラスを誰が歌うかは僕が決めていますね。声質とか、キーとか、目的だとか、そういうことも関係してきますので。

 

例えば、現在アジカンで一番高い声が出るのは僕なんですね。建さんのファルセットで届かないならば、自分でやるしかない。笑。あと、山ちゃんのコーラスは僕の声に似ているので、わざわざやってもらう意味合いが少ないってのもあります。人数感が欲しいときには手伝ってもらいますけれども(ちなみに、エフェクトがかかっている部分「この日々の〜」や「命は燃えて〜」の部分は山ちゃんではありません。僕が歌っています)。

 

僕としては、もっと積極的にコーラスワークを手伝って欲しいんですよ。笑。やりたがり!とか思われているなら心外です。笑。

 

 

kenken

この曲の疾走感には何か切なさのようなものを感じ、胸がしめつけられる気がします。この曲に限らずですが、演奏中などにそのような気持ちになることはありますか?また、切ない疾走感でおすすめな曲がありましたら、教えてください! 

 

ぱっと思い浮かんだのはこの曲ですかね。

 

 

何度聴いても鳥肌が立ちます。で、キューとなります。何を歌ってるか言葉ではよく分からないんですけれども、全体で掴まれます。猛スピードの感情を浴びてる感じですかね。脳とかじゃなくて、「この気持ち、俺にもわかる」って身体が反応するんですよ。皮膚や、涙腺とかが、反応するんですよ。

 

 

 というわけで、次回は最終回ですね。「オペラグラス」です。よろしくお願いします。

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