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さて、解説編は9曲目の「Prisoner in a Frame/額の中の囚人」です。もう少しで全曲解説も終わりですね。だいぶ質問も減ってきましたが、よろしくどうぞ。
えぐ
アルバム中で最も音と詞が重苦しく、閉塞感を感じます。以前「ネオテニー」のQ&Aで、曲の場面を変えたいときなど演奏を止める手法を使うと回答されてました。この曲で止まったあと明るめの転調と詞が入るのもそういう意図ですか?
そんなに重苦しい歌詞でしょうかね。笑。僕はそうは思わないんですけれども。閉館前の美術館から、夜の街へと詩世界が広がっていきますし。ちなみに読んで分かるように、ヴァース部分は風景描写なのに対して、コーラスでは主人公の心情を吐露する内容になっています。
演奏のリズムを止めることをアジカンでは「ブレイク」と呼んでいます。一般的にそう呼ばれているのかどうかは分かりませんが、効果はいろいろありますね。ハっとさせることもあるし、勢いが出ることもある。また、風景を変えることできます。割とよくある、曲に変化をつけるためのアレンジですよね。
転調は特にしていないという解釈なんです。キーはBbm(ビー・フラット・マイナー)のままです。ところが、サビにきて明るく感じるのは、Bbmは同時にC#メジャーとスケールが同じということが原因なのだと思います。ブレイク後は明るい印象のメロディなので、なんとなく長調(メジャー)に転調したように感じるのかもしれません。ただ、厳密にはどういう解釈なのか、よく分かっていないのがバンドマンの悪いところなのですが。笑。楽理的な理解というのは、いつでも作ったあとに、必要があれば解析するという程度なものでして…。
まんじゅう
この曲だけ、独特の重みある雰囲気を感じます。何か意識した空気感のようなものはあるのでしょうか?(個人的には、ブッチャーズに近い雰囲気を感じたり感じなかったりしてます)
特にbloodthirsty butchers(以下、ブッチャーズ)を意識した曲ではないです。ですが、このアルバム制作の冒頭は、ブッチャーズのトリビュートアルバムへの参加と同時進行でした。「bangin the drum」という曲です。
その作業が僕らに与えた影響を言語化するのは難しいですけれども、エモーショナルなロックに取り組もうというセッションが始まった時期でしたから、ブッチャーズの曲を演奏しながら、「音楽で心や身体を解放するにはどうしたらいいのか」ということを、身を持って学んだように思います。
言葉にしなくても、演奏してみると分かることってあるんですよね。もしかしたら、そのときに宿った何かが形を変えて伝わったのかもしれません。だったら嬉しいです。
しろごま
失礼な質問してすみません。『閉館を促すメロディが』の『が』の音程は正しいのでしょうか?なんと言うか…よくわからないのですが、毎回聴くたびにそこだけ違和感をおぼえます。。。
「正しい/正しくない」というのは、問いのたて方によって変わりますよね。音階を12分割した鍵盤で解析した(ヨーロッパの)音楽的に間違っているのかいないのかで言えば、間違っていないということになります。ただ、ご存の通りアラブではもっと細かく音階が分割されていますし、民族的な5音階とかだと間の音が部族によって違うとか、そういう事実を並べていくと、もうややこしいことになります。つまり、ドレミファだけが音楽じゃないってことですね。ましてや、正しさでもない、のです(ちなみに、日本の音楽がドレミファになったのは長い日本史から見たら割と最近です)。
そういう屁理屈(重要なことだけれど)はさておき、おそらく、違和感があるのは、「が」の音がBbなのに対してベースがBを弾いていて、これが半音でぶつかっているのが気になっているのだと思います。僕も歌うのが難しいです。
だのん・ぴよ
アルバムは架空の町を舞台にしているとのことですが、「アルバニア」という固有名詞が出てきた時、生々しくてドキッとしました。フックになる単語だと思ったのですが、後藤さんは意識されたのでしょうか。
そうですね、詩の中で、教会からどこの国や地域(あるいは民族や宗教)のことを想って祈るのがいいのか考えてみたいのですが。バルカン半島のこの国の名前がパッと浮かびまして、ざっくりと調べて、採用しました。ドキっとしてもらえたなら、よかったです。ドキっとしてもらうのが詩の役割だと考えていますから、答えとかを言い切るような性質のものではなくて。
ピヨ
曲解説とても楽しく拝見しています!「額の中の囚人」はメロに後藤さんの声の他に低い歌声が入っているように聞こえるのですが、これは山田さんの歌声なのでしょうか?低音ボイスがかっこよくて好きです
僕の声ですね。格好いい低音ボイスは大概、僕です。笑。
ルカ
サビの部分で『解き放って彼を〜』と歌われていて歌詞カードでは『彼を解き放って〜』となっているのが気になりました。コーラスの関係で逆になっているのでしょうか?
メロディの都合では「解き放って〜」と歌いだしたいんです。ところが、書き起こしてみるとなんだか気持ち悪い。「彼を」を前に置かないと「くれないか」とのつながりのところで、どうにもモヤモヤする。なのでエイヤ!と並べ替えてしまいました。
書いてある順番通りに歌わないといけないなんてルールはないと思うんです。文語で書いてあるものを口語で歌ってもいいと思うんですよね。そんなふうに考えているので、アジカンの歌詞カードはたまに歌っている実際の音とは違う言葉が書いてあることがあります。
なお
始まりの不穏な感じのメロディと、「解き放って 彼を~」と繰り返す言葉が心に刺さります。どんな想いでこの曲を書かれたのか気になりました。
特に詳しくもないのに美術館に行くのが好きなんですね、僕は。それで、よく思うのは、キャプションが多いなぁということです。文脈を知るのにはとっても重要なものだと思うんですけれども、ある意味では窮屈さというか、芸術性を言語で回収しなければいけないような圧迫感を感じます。観念の檻、みたいなものを想像したりもします。
でもまあ一方で、様々な事柄や心情などを一生懸命に言語化して、我々は進んできたんですけれども。先人が進めてくれた恩恵のもとで、活動しているわけです。
インターネットの登場以来、なんというか、どんなことでも言葉で書き表して記録できると多くの人が感じているように思います。でも、本来は、言葉にならないことを言語化して行くことって、とても難しいんですよね。でも、なんとかそれに挑戦しないといけない。一方で、言葉では書き表せないこということを書くのも、書くことの役割ですけれども。
まあ、そういう面倒なことを考えたりします、最近は。
よし子
曲中のキメの部分で、一回目はかっちり決まっているのに対し二回目のときは少しズレがあるなあと思いました。それも相まってのかっこよさだと思いますが、作業のときはどのような気持ちでこのテイクを採用したのでしょうか?
なんというか、一回目と二回目の微妙なニュアンスの違いを「かっこよさ」だと書いてくれて嬉しいです。ほどよい緊張感を感じられていいですよね。
しかし、「ズレてない」ってどういう状態なんでしょうね。コンピューターが発達して演奏の編集も簡単ですから、全く同じタイミングでバキっと発音された音楽に編集することも可能です。2分あったら余裕で加工できます。マウスでグリっと動かせば一丁あがり。
ほとんど錯覚かもしれませんし、それが伝わるかどうかは別として、録音している側としては「これだ!!!」っていう瞬間があるんですね。演奏技術とメンタリティの両面から、よかったと思える瞬間が。まあ、そういう瞬間を捕まえるのがレコーディングという作業です、僕らにとっては。そんな瞬間の、ちょっとした揺らぎやズレ、そういう要素を愛しています。
本来、メトロノームと揃っているリズムや、鍵盤のど真ん中に当たっているようなピッチが、音楽的に正しいなんてことはないんですけれども、割と、そういうものを指して「下手だ」とか上手いだとか言ってしまう風潮ってありますよね。人間のやっていることなのに、コンピューターで補正したものを、みんなが有り難がっている時代です。
まったく揃ってないけれども、何もかもがある、醜さも美しさも、生きることにまつわる一切合財があるような気がする、そんな奇跡みたいな集まりがロックバンドだと思います。演奏の上手い下手も楽しみかもしれないですけれども、そうでないところにある魅力って、多くの人が見逃しているような気がします。でもきっと、またそいう魅力が見直される時代になると僕は思います。
サク
額の中の囚人で3:03あたりからカンカン音がしますが、これは何の音ですか?アジカンの楽曲のなかでも、ときどき鳴っているこんな音がいつも印象的だなあと思って気になっています。額の中の囚人、リズムもクセになるナイスなカンカンです
これはライドシンバルですね。そのカップと言われるあたりを叩いている音です。なんとなくで選んだこの動画を参考に。なんでジャズの教則ビデオっていう。笑。
これはイントロからライドシンバルの鳴っている名曲。
いかがでしたでしょうか。次は10曲目ですね。「Signal on the Street/街頭のシグナル」です。質問はTwitterで募集しております。