『Wonder Future』 全曲解説 #4
カテゴリ:全曲解説

 

 全曲解説も4曲目。今回は「Caterpillar/芋虫」です。日記のカテゴリーに「全曲解説」という項目を作っておいたので、そちらでまとめて読んでみてください。質問が重複していることもありますので。

 

 

malica_mari

利潤追求する人間の欠落や愚かさを描かれたのかと解釈していますがやはりcapital資本主義から派生されたのでしょうか。Caterpillarには人を食いものにするという意もあるのですね、愚問とは思いますが質問しました

 

おっしゃる通りタイトルは「capital(キャピタル)=資本」から文字だけ転がして「キャタピラー」という言葉遊びというか、直接的になることを避けてのタイトルなんですけれども、日本語で「芋虫」としたほうが逆に不気味で恐ろしい感じもします。戦車や重機なんかも連想してしまいますし、「キャタピラー」という言葉は。自分で付けておいてなんですけれども。笑。

 

なんて考えていたところ、「Caterpillar=人を食いものにする」なんていう語意もあるんですね。驚きました。僕が普段使っている辞書には載っていなかったですけれども。

 

「利潤」を追求する人たちを押し並べて「愚かだ」と一般化するのは難しいと思いますが、この曲の歌詞は人間の「愚かさ」の側に自ら立って、偽悪的に書いています。そして、そういう「愚かさ」と自分が無縁かというと、そういうわけでもなくて、善悪とか白黒みたいにパキっと2極に分かれているのではなくて、なだらかに地続きというか、僕の中にもありとあらゆる種類の人間の「愚かさ」が潜んでいると感じています。もちろん、時折、そういった「愚かさ」が顔を出したりします。そういう「愚かさ」を言葉にするのも、「書く」ということの役割だと考えています。



myfather is clean

いやいや面白いので続行してください! この曲、かつてない不思議なコード進行のような気がするんですが、どうなんでしょうか!誰が元ネタだったんですか? あと、なぜ「芋虫」なんでしょうか?

 

「芋虫」なのは前述した通りです。そして、この曲は僕がマルッと作った曲です。それを皆でセッションしながら肉付けしました。

 

コード進行はソロ作を作ったり、弾き語りでライブをするうちに好きになった7thという音を入れているんですね。ちょっとブルージー(寂しげというか悲しげ)に感じると思います。アジカンの曲のバッキングギターはパワーコードといって、ルートの音と5度の和音だけで構成されていることが多かったので、僕のパートで7thの音が出てくるのは珍しいことだと思います。そのあたりが「不思議」と感じたんじゃないでしょうか。

 

ちなみに、僕らがパワーコードを良く使うのは、演奏が簡単だってこともあるんですが、ギター二本の棲み分けに便利なんですね。音程/音域をベタっと埋めてしまわないので、その部分を余白と考えると別の楽器の自由度が上がります。ポジションで音域を分けられるので、フレーズが半音でぶつかって大喧嘩という機会が減ります。笑。



えんも

『芋虫』は『No.9』に匹敵する重い歌詞だと思いました。後者は曲と歌詞のギャップを感じましたが、前者では感じませんでした。曲先で歌詞を書いておられる中で、曲からインスピレーションを受けて歌詞を書いたのでしょうか?

 

どちらも曲やメロディからインスピレーションを受けて歌詞を書いています。でも、当時よりはメロディを考えることと言葉を選ぶことの距離が縮まる機会が増えたと感じています。というのも、作詞と作曲を同時にやっているような瞬間も増えているからです。メロディを作りながら同時に言葉も書く、というような作業も増えています。「Caterpillar/芋虫」は同時進行とはいきませんが、そういった意味で言葉とメロディの距離が短い曲です。

 

「No.9」も言葉とメロディの距離が近い曲だと僕は思っています。スっと歌詞が書けましたから。なので、言葉とメロディやコード進行とのギャップというよりは、ビートとのギャップなんじゃないかと思うのですが、どうでしょう。四分キックのダンスビートですからね。当時は、こんな悲しくて切実な曲で踊ってみせることに意味があると考えていたんですけれども。

 

ちなみに、言葉とメロディが遠い曲の例を挙げると、「絵画教室」や「オールドスクール」ですかね。『Wonder Future』でいうならば「Signal on the Street/街頭のシグナル」のサビあたりでしょうか。まあでも、これは書いている側の感覚でしかないと思います。笑。



ナイン

Caterpillarはアルバムの中でもパワーポップ感がが強かったと感じたのですが元ネタは誰が用意したんですか?

 

僕はあまりパワーポップ感を感じていないのですが、そういう印象に興味がありますね。僕が思うパワーポップの王道の曲をいくつか添付しますね。BIG STARとかTeenage Fanclubとか、マシュー・スウィートとか、挙げたらキリがないでしょうけれども。

 

 

 

 

どちらかというと、エモからの影響が強いのかなと自己分析しましたけれども。このあたりとか。「ジャンルの区別はどこなんですか?」と聞かれても答えに窮しますが。笑。

 

 

 

どうでしょうか。気に入ったら、それぞれのバンドのアルバムを買って聴いてみてください(オフィシャルじゃない映像も混じっていますので)。



はな

スタジオの機材使い放題とのことでしたが、この曲の歪みはアンプ+エフェクターですか?サビで1本増えているようですが、音質はオーバードライブ系、ディストーション系を使い分けているのでしょうか?鳴りがあまりに気持ち良いもので

 

基本的にはアンプで歪んだ音を作ります。ただ、今回はB’zのギター・テックのチームが作ったブースターを借りられることができて、それを多用しました。音が潰れないのに太くなるという素晴らしい効果が得られたんです。「やっぱり松本さんスゲェ!!!(会ったことないですが)」と感心しながら録音をしていました。

 

そういえば、建さんは足元のエフェクターでも歪みを足していました。でも、ペダルのメーカーや名前は失念しました。すみません。

 

アンプは建さんは基本的にボグナーというメーカーのアンプを使っています。L.A.では4台、個性の違うヘッドアンプを借りて、曲ごとに変えて録音しました。僕はBAT CATというアンプをフー・ファイターズの倉庫から借りました。メインの歪みはこちらです。「Wonder Future」のような曲では、同じく倉庫から借りたFENDERのツイン・リヴァーブを使っています。こちらの場合はアンプ直では歪まないので、ソバットという日本から持っていったペダルを踏んで録音しています。

 

サビで増えるダブル分のバッキング・ギターでは、フー・ファイターズの倉庫から借りたマーシャルのアンプを使っているはずです。これは、もう一本のギターとキャラクターを差別化するためですね。建さんのレスポールとエフェクターボードを借りて、僕が弾いています。

 

 

僕と世界の輪唱

この曲はキャッチーな歌メロやシンプルな構成がサーフブンブクカマクラに近いなと感じました。アルバム全体としてみても、メロディはランドマークよりサーフ〜寄りかな思うのですが、ゴッチさん自身はどう感じていますか?

 

 

メロディについては、『ランドマーク』っぽくしようとか『サーフブンガクカマクラ』っぽくしようだとか、そういうことを考えて作っていないですね。細かく分析していないんです。感覚に任せているというか。基本的に、メロディは毎度、事後的にしか分析できないような作り方なので。なにしろ、ギターを弾きながら鼻歌で作るわけですから。笑。

 

ただ、サウンド的には『サーフ〜』に近いところがあると思います。『サーフ〜』はアナログテープで一発録音をしたんですけれども、方向性や手法、発送はそれに近いんです。『サーフ〜』にある牧歌的なフィーリングは排したつもりですけれどもね。もっとヒリヒリした印象の音像を目指していたというか。でも、「ヴィンテージの機材を使って生々しいサウンドを目指そう」というところは同じです。でも、『サーフ〜』のほうが圧倒的にカラフルだと思います。

 

ちなみに『サーフブンガクカマクラ』の制作時はWeezerの1stアルバムを意識していました。その中の収録曲「サーフ・ワックス・アメリカ」をモジって『サーフブンガクカマクラ』ですから。笑。

 

 

 

『サーフブンガクカマクラ』は、この一曲が持っているようなイメージやフィーリングを分解して、アルバム一枚使って日本的に(鎌倉を舞台に)立ち上げ直すようなイメージでもありました。成功したのかどうかは分かりませんが...。僕にとっては、アジカンでも最も気に入ってるアルバムのひとつです。

 

あ、あと、歌詞がフィクションであるところ(自分のことではなくて、架空の街の物語を描いているところ)も『Wonder Future』と『サーフ〜』の共通点ですね。風景は全く違いますけれども。



Takatch

caterpillarのお二人のギターのエフェクトはかけ取りですか、後がけですか?

 

時と場合によりますが、基本的に歪みのエフェクトはかけて録ります。でも、同時にライン(アンプに繋がない音)でも録音をしているので、その音をミックスエンジニアが加工して、原音に重ねているところもあります。何をしているかはエンジニアだけが知っています。笑。この曲の空間系のエフェクトはミックス時にニックが追加しています。



こばし

芋虫は好きですか?

 

嫌いです。本当に虫(昆虫も節足動物の類も)は怖いです。スケール感が人間と同等なら、絶対に俺らを捕食するはずなんですよ、ヤツら。本当に怖い。



Ku-ta 

Caterpillarはサビの覚えやすいリズムと音階が心地良くて好きです。この曲の最後のギターから、次の永遠の陽光の歌が静かに始まる流れが、このアルバムで一番好きな部分の一つです。今回、曲と曲のつながりで何か意識されていることはありますか?

 

単純に、デモ作りの段階でなぜかずっと「Caterpillar」から「永遠の陽光」という順番でプレイリストに入れてあったんです。結果、その順番で聴き慣れてしまい、かつ、それが妙に良かったんですね。妙に良いというか、絶妙だなと思いました。それをそのまま採用しただけです。笑。

 

曲間については、建さん&山さんの曲間職人たちが調整してくれました。



きしみちお

「Caterpillar」(あえて芋虫と書きませんが…笑)のような時代性の高い作品の方が、実は普遍性があるように感じることが多いのですがいかがでしょうか?(そこに少しでも未来が見えることが大切だとも思いますが)

 

本当に僕も同じことをよく考えます。

 

ある種の普遍性というのは、作品の寿命に関わる要素なので、まあ、あるに越したことはないと思うのです。でも、そういう普遍性を取り違えて、「クリシェ=常套句」みたいな言葉選びになってしまうことってあると思うんですよね。誰にでも言えそうな言い回しになってしまうというか。これは音像は手法についても比喩として適用可能だと思います。

 

翻って、長い年月を超えて愛されている作品には、その時代の空気が色濃く詰められていますよね。例えば、100年後のことを意識して作られていないと思うんですが、100年後に立ち上げても瑞々しいフィーリングが宿っている、あるいは受け渡され続けてきた「大事な何か」が内包されている、そんな気がしますよね。もしかしたら、同質の「何か(としか書けない)」をそれぞれの時代ならではのフィルターや回路で表したものが、普遍的な作品なのかもしれません。小説家も画家も音楽家も舞踏家も、僕は同じ「箱」に手を突っ込んで、普遍的な何かにタッチしているんだと考えているんですけれども、どうでしょうかね。

 

いずれにせよ、普遍性っていうのは、とっても難しい問題です。多くの偉大な先人たちがタッチし続けてきた「何か」にタッチするということが、僕にとっての作品作りの指針というか、目標です。



アシカトタカフミ

出だしを4人同時に演奏するところがかっこいいです。やはりメンバーの仲が良いからこそできる一体感ですか?

 

出だしが揃っているのは、演奏開始直前に潔がカウントを入れて、それを合図に演奏を始めているからです。仲が良い悪いに関わらずミュージシャンなら誰しも簡単にできることだと思います。笑。

 

でも割と、最近は仲が良いですよ。プライベートで遊んだりはしませんが。笑。

 

 

 

 つうわけで、第5回に続く。質問の募集はTwitterで行っています。6月21日。

 

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