見出しのようには表せない
カテゴリ:日記

 

 この日は夜から取材。とてもディープな内容。

 

 とにかく一言で言い表して欲しい!っていう圧はいろいろなところにある。なるべく短い言葉で端的に説明できたほうが能力が高いんだと。確かにそうして膨大な情報から重要な部分を読み取って、適切に要約する能力は素晴らしいと思う。けれども、要約できないこと、略してしまったら失われてしまうこともある。すべてのことが見出しみたいな文字数で語れるわけではないのだ。だからまあ、書店に行けば、膨大な数の本があるわけで。

 

 ただ、コストだとか効率だとかいう言葉が、しっかり読み解く時間を減らそうとする。そんなのは金の無駄だと言ってくる。果たしてそうだろうか。まあ、答えは違うとしか言いようがない。読み解いたり、自分なりに考えて落とし込む手間こそに、読むっていうことの魅力がある。そもそも、文体に触れることだって読書の大切な要素だ。だから、10分でわかるナントカとか、そういう粗筋を追った本を読んだって得られるものは少ない。

 

 こういう、情報を圧縮してわかりやすくわ表せみたいな圧がどこに行き着くかというと、例えば、「フクシマ」というような言葉だと思う。意味を単純化して、外部化して、ただの音みたいな言葉にしてしまう。たった一言で様々な立場のひとを表せるわけがないのだ。そんなところ強引につなげるなと思うひとがいるかもしれないけれども、ここははっきり繋がっていると俺は考えている。多くのひとは、端的にまとめることの難しさ、不可能性について無頓着だと思う。もちろん、こんな俺も含めて。

 

 5月7日。

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