二度目の人生
カテゴリ:日記

 

 取材。ロッキンオンジャパンの表紙の撮影と取材など。なかなか面白い撮影だった。「お前雰囲気あるなぁ」とカメラマンに褒められて嬉しかった。

 

 11日。震災から4年目に突入して一月。来年はもう5年ということになるのだなぁ。まだ5年なのかもしれないけれど、「もう」と言いたくなるようなスピード感だ。置いていかれるような感覚になる。

 

 震災時のいろいろな葛藤の中で、俺はここからは二度目の人生だと誓った。ここから先は生かされていると考えて、生きていこうと思った。そうしたらば、大抵のことはできるだろうと思った。どう思われているかという自意識なんかに包まれることなく、なにをすべきかで考えられると思った。生かされていることに対して、恩を返すように生きればいいのだから。(まあ、これ、言うよりも難しいけれども。笑。)

 

 そう考えると、とても楽になった。ああ、自意識っていうもんがこんなにも自分を縛っていたのかとも思った。もちろん、自分を律するというような視点での自意識は捨てられないけれども、よく思われたいというような気持ちはかなり減ったように思う。それは被災地に足を運ぶうちにどんどん確信になっていったことのひとつかもしれない。だって、自分がよく思われるかどうかなんかに捕らえられていたら、自分を知らない人の前で存分にエネルギーを放出できないから。自分が良かったかどうかは、そのときの音楽的なパフォーマンスがどうだったかという一点で、事後的に立ち現れるのだから、やっているときにそんなことを考えたって意味がない。自分を縛るだけ。緊張するのは、そういうときだ。

 

 そういう点では、まあ、格好つけないこともやめた。え!?どういうこと?って感じだけれども。笑。説明すると、ずっと、俺はアンチロックスターというかアンチグラマラスというか、過剰に装飾されていることだったり、音楽において作者のパーソナルな部分に世間の興味が偏ることに対して、率直に疑問を持っていた。ケッ!と思っていた。だからまあ、寝癖もそのままの小汚ない感じを貫いていた。ブスがよりブスを気取っていたわけ。笑。でもこれも、なんか過剰な自意識の表れだなぁと思って。笑。モッサモサで行ったるわボケ!も女の子にモテたい!も、反転しているだけでほとんど構造的には一緒だろうと思ったのだ。もうええわ、そういうの、と思った。どこかが強張っちゃうもの。

 

 だからもう、今の俺はナチュラルチーズを通り越してしぼりたての乳、みたいな感じなのだ。成分無調整のブスというか。とはいえ、一生懸命に生きたら、いや、案外ブスでもなかったよと、事後的に誰かが言ってくれるかも知らん。なので、自分がブスかどうかすらどうでもよくなってしまった。ただし、鼻毛を切ったりはするけれども。それはエチケットとしての、身づくろい。笑。

 

 そして、自分のためだけに生きている奴は早晩行き詰まる。流れていない水が澱むように。だからまあ、他者のためになるようなことをしてきたい。助平だから、ちょっとはいい思いしたり、おいしいものを食べたいというような欲望から逃れられないけれども、それでもなんか、俺の財布だけが肥えたらええねんグヘヘみたいなのは嫌だ。仲間内だけに利益があるのもね。広く公平に、後続の世代にとっての利益になるようなことを考えたいし、そういう目標を持って行動したいと思うの。なにしろ、二度目の人生だから。

 

 4月11日

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