マルチーズ
カテゴリ:日記

 

 夕刻、薄暗くなり始めた交差点、自転車で信号待ちをしていると、横断歩道の向こうに犬を連れた若い女性。マルチーズのような白い小型犬が可愛い。けれども、マルチーズはあまり好きではない。というのも、昔、中学校の通学路にマルチーズを数匹買っている家があった。そこの家がたまに門を閉め忘れたか何かで放し飼いのような状態になるのだけれども、県道の歩道にあふれたそのマルチーズたちが凶暴で、通行人に襲いかかってくるのであった。一匹だと気の弱いマルチーズも、群れになると存外に恐ろしかった。小さいからといってあなどってはいけないのは、ヤツらも身体のどこかに野性を忍ばせているのか人間の急所が分かるらしく、みなでアキレス腱を狙って噛みついてくるのだ。むちゃんこ怖いぞ。

 

 そんなことを思い出して戦慄していたらば、信号が青に変わった。

 

 横断歩道を渡って、マルチーズと女性の横を過ぎようとした。するとおもむろに、マルチーズは小刻みに震えて、綺麗なハの字に後ろ脚を広げたのだった。ここまで、ほんの数秒のできごとだった。

 

 あれ?もしや?と思った俺がやっぱり!と思う間もなく、マルチーズはハの字になった足の、三角形でいうと頂点のところに開いた穴からプリっと、例のアレをかましたのだった。うわっと俺は思って、半笑いで尻の穴に寄せた目線を飼い主の方へすべらせると、飼い主の女性は斜め上の、虚空としか呼びようのない空間を眺めていたのだった。こ、こ、こいつ、持って帰る気ゼロじゃねえか、と、俺は瞬時に悟ったのだった。本当に、この間は2秒もなかった。口から咄嗟に言葉が出た。

 

「ウンコしてますよー」

 

 どういうテンションで言って良いかがわからなかったので、なんか弱気な感じのトーンになってしまった。もしかしたら聞こえないかも、みたいな音量になってしまったのだ。独り言に近いニュアンスだったかもしれない。だって、夕方の薄暗いなか、自転車で追い抜いていくオッサンからいきなり「ウンコしてますよー」と言われたらどうだろうか。まあ、女性は飼い犬が糞をしていたので虚空を見てごまかしていたのだろうけれども、場合によっては俺が変な奴としてどこかに突き出されてしまう可能性もある。新手の通り魔と認定されて、「最近このあたりで『ウンコしてますよ』と若い女性に声をかける怪しい男がいます』と掲示板などで告知されてしまうかもしれない。そういうことが脳裏をよぎったのかもしれない。そんなこんなで、躊躇う気持ちを殺せなかった。とにかく、なんともはっきりしない声量だった。

 

 女性は虚空を見つめたままだった、ような気がする。ビニールか何か持ってるのかなと咄嗟にファッションチェックをしたけれど、糞を入れるにはオシャレすぎるトートバックを肘から下げていた。スピードを少しあげていた俺は、ゆるめることなくシャーっと自転車で脇を通り過ぎて、右折して家に向かった。これは数日前のできごとだった。

 

 

 そして、この日、現場付近に行く機会があったので、例の交差点に寄ってみたのだった。堂々とした雰囲気で、ウンコが路肩に鎮座していた。馬鹿野郎!と俺は呟いたのだった。4月5日。

2015-04-05 1428209160
©2010 Sony Music Entertainment(Japan) Inc. All rights Reserved.