YOROZU
カテゴリ:日記

 

 ロッキンオンジャパンで連載しているYOROZUという連載の原稿を書いた。

 

 どういう連載かと言うと、はっきりとロック雑誌の読者が求めていないだろう民俗史などを己の妄想と掛け合わせて爆発させ、それに普段から溜め込んでいる怨念などをまぶして、物語に仕立てたものだ。死者、あるいは死んだ動物が現在から当時を回想するという視点で書いている。まあ、なんというか、教科書には出てこない歴史=民俗史には面白いエピソードや、残酷な話、現在の倫理とはちがった当時の感覚、などなど、様々な情報が詰まっている。それは我々の現代の価値観や、日本人としてのアイデンティティを揺さぶるものなのね。そういう民俗史こそ、みんなに興味を持ってもらいたい、という気持ちがある。そして、単行本などを出版して小銭を稼ぎたい、という気持ちも少なからず、ある。

 

 ロックというのも、こういう民俗史に通じるところが多い。というか、大衆音楽の歴史=ロック史はそのまんま民俗史だ。

 

 公の歴史というのは、文書化されたものが綴っていくわけだけれども、一方で、公的な文書や言語では書き記されない口述の歴史もある。ロックに楽譜がない、っていうのはそれに近くて、まあ、本来は場とかが育んでいる歌唱なり楽器なりその奏法なりを身体で繋いできたのが、俺らのやっている大衆音楽ってヤツなわけだ。楽譜自体も、教育によってポピュラーというか、生活の中に入ってきているわけだけれども、楽譜の読み書きの能力ってのは、一般的ではないと思う。そもそも書くということは権威的な行為なのね。そういう性質を帯びている。でも、ヒット曲は楽譜なんて読めなくても歌える。わらべ歌なんかも、ね。

 

 まあだから、そうして権威と大衆みたいな、公文書と口述というか、そういうふたつの流れが歴史にはあって、権威の側は教科書に濃いインクで印刷してあるのだけれども、俺たちの歴史は全身で伝えてゆくししかないのだと思っている。容れ物は人間。世の中には、忘れ去られるもののほうが多いのだから、それに抗うのだ。なんつって。

 

 という俺の主張と合わせて読むと、あの糞眼鏡と、読了後に呪詛を飛ばしたくなるような連載なので、よろしくどうぞ。

 

 1月9日。

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