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温泉宿の大浴場に行くと先客が2名いる様子だった。入り口の石板のタタキに置かれた履物の数を見ればわかるのだけれども、一足の様子がどうもおかしい。雑に脱ぎ捨てたのか、あるいは何らかのメッセージなのかは知らんが、アルファベットの「T」の形になっていた。場所その隣には綺麗に、常識通りに脱ぎ揃えられた旅館の内履きがある。俺は、なんとなく嫌な予感がした。
なによりも、このTになっている内履きが、石板の隅に寄せるでもなく絶妙に面倒くさい位置に鎮座していて、そのことに腹が立ったというか、すんごい不気味と俺は思ったのだった。こんな脱ぎ方は普通にありえない。俺はそのTよりも外側の、土間を挟んでトイレ側にわざわざ自分の内履きを脱いで、「T」を大股でまたぐようにして大浴場の玄関にあがったのだった。
中に入ると、左側の棚のカゴに一組、右側の棚のカゴに一組、館内着が脱いであった。どちらも最上段を使用していた。そして、ここでも嫌な予感。右側のカゴの館内着がほとんどカゴから溢れかけるくらいに乱れており、ほとんど踊りながら脱いだのではないかという有様で、Tからの館内着の惨状を見るに、これは大変な歌舞伎者が入浴しているにちがいないと想像するに難しくなかった。うーむ。いやだなぁ、いやだなぁ。稲川淳二ならそう言いながらも恐ろしい心霊スポットに入っていくのであろう。俺も、温泉だけれども、そうしたのだった。
中ではふたりの男が入浴中だった。俺の視力が著しく低いというのはあるけれども、パッと見でどちらが歌舞伎者であるかは判別できなかった。ものすごい荒くれ者とかでなくてホッとした。ただのズボラかと納得して、俺は身体と頭を洗った。
頭を洗い流し終えると、いつのまにか浴槽には一人の男性しか残っていなかった。そのひとも直ぐに出ていってしまった。貸切かぁと喜びながら脱衣所の方を見てみると、曇りガラス越しに、その男は左側のカゴから部屋着を取り出して着替えている様子だった。先に例のズボラ野郎が出て行った、ということだろう。俺は変な奴っているもんですね、とか思いながら、じっくり身体を温めた。脹脛を揉んだりもした。
しばらくして温泉から出、髪を乾かし、館内着を着た。腹も減ってきたし、夕食の時間も近かった。やや長風呂になってしまったので、慌てて上着を羽織って外に出た。
「T」の内履きが残されていた。なんの迷いもなく、俺の内履きを履いていったのだと確信するほど、「T」だった。そのまんま、「T」であった。
うわぁ。というのも、おそらく、さっき出て行ったごく普通の真っ当な旅行者は、「あのメガネのヤツ変わった脱ぎ方するなぁ」と思ったに違いないからだった。絶対に、部屋に戻って連れ合いなどに「さっき大浴場で内履きをTの形にして、すんごい微妙なところに脱いでたヤツがいてさ。わろけるわぁ」と酒の肴にして、屁でもこきながら楽しく日本酒を飲んでいるにちがいないからだった。俺じゃない、俺じゃない。だけれども、旅館内ですれ違ったならば、「あ、お風呂のTのひと!」などと思われて笑うのを堪えるに決まっている。しかも、俺は目が悪いのでさっきの普通の入浴マナーの男性の顔がわからなかった。つまり、すれ違うひとすれ違うひとが、さっきの入浴客の可能性があるわけで、ということは、誰かとすれ違う度に笑われているのかもしれないと思ってしまうではないか。
そう考えると、絶望的な気分になってしまった。悔しい。1月5日。