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まずは、「フタバから遠く離れて」の船橋監督と対談。映画に対すること、表現についての考え、など、とてもおもしろい対談だった。ゲラゲラ笑えるというおもしろさではなくて、有意義だという意味で。
監督はなるべく自分が持っているバイアスを通さずに、このドキュメント映画の制作に取組んでいるという。それはとても難しい。監督も人間だから、何かしらの想いが乗っかってしまう可能性は否定できない。でも、それを排除するように心掛けているのだと船橋監督。それは、あまりにも大きな出来ごとを前に引き裂かれた人々や魂に対する、誠実さだと俺は感じた。恐らく、いろいろな言葉が監督には飛んできていると思う。批難の声もあるだろう。でも、記録として残さねばならない、そういう想いが監督を突き動かしているのだ。
教科書は権力の側が作るのだけれども、権力の志向がどうあれ、膨大な歴史は文章的には短くまとめられ、見出し化されてしまう。でも、今を生きる僕たちの想いは見出しのような数文字の太字には変換できない。「2011年東日本大震災・福島第一原発事故」と年号を覚えただけでは、あまりにこぼしてしまうものが多い。だから、いろいろな場所で、それぞれの想いを残しておくのはとても大事なことだと思う。どんなことが行われ、どんな想いだったか。それは絶対に、後に役立つときが来る。とは言え、役立てるのは僕らが死んだあとの世代かもしれないけれど。
そういう視点でモノを作ること。残すこと。自分が、それが何だったのかを確認する立場にはなれなくても、だ。
そして、アジカン作業。いろいろと試行錯誤は続く。10月31日。