2003年 | 2004年 | 2005年 |
2006年 | 2007年 | 2008年 |
2009年 | 2010年 | 2011年 |
2012年 | 2013年 | 2014年 |
2015年 | 2016年 | 2017年 |
リハーサル。その前にSONYのヘッドフォンとハイレゾ配信の取材。
SONYのMDR-1Rというヘッドフォンを俺はリスニング用(音楽を作るときにモニター用はまた別のヘッドフォン)に使っているのだけれども、その最新版を試させてもらった。高音の抜け方が明らかに良くて感動した。自分のライブ音源も聴き比べてみたんだけれども、新しいヤツのほうが臨場感が高かった。うーむ。物欲が...。
いやしかし、ハイレゾ音源は音が良い。と言うか、作った時点から割引かれている感じが少ない。CDやMP3の場合、自分たちが完成させた音源の情報量をいくらか減らして届けることになるので、A3サイズの作品をA4の紙に解像度を落としてプリントする、みたいな状態になってしまう。まあ、A4で見ているぶんには気がつかないかもだけれど、もう一度A3まで引き伸ばすと元よりも粗い画質になっている。ハイレゾの場合はそういう割引率を下げたり、あるいはそのまま渡すことができる。作り手の意図が正しく伝わる可能性が増えるっていうことだ。
なので、こういう流れは大歓迎。
あとは、ハイレゾの普及だね。定額料金で聴き放題みたいなストリーミングサービスなんかもあるし、YouTubeのようにフリーでいろいろな音楽に触れられるサイトもある。そういうなかでハイレゾがどういう位置づけになってくるのかっていうこと。一部マニアのものになってしまうのか、どうなのか。作り手の側からしたら、なるべく良い音で聴いてもらったらうれしいなと思うけれど...。
ある種のリスペクトをすべて売り払ってしまえば、とにかくなんでも安く早く手に入ればいいってことになってしまう。音楽は音源からデータと呼ばれて、あるいは俺たちもコンテンツみたいな呼び方をされて、酷い扱いを受けるだけだよね。まあコピーライトに対する疑念は俺も持っていて、メロディラインも歌詞もリフレインも、パブリックなものとして共有していくのが良いと思うんだけれども、最低限のリスペクトを対価に変えていかないと、音楽家たちは食べていけない。そういう問題もある。このあたりは、常にベターな方法を探しながら進んで行く必要があると思うんだけれども。
リスナーもミュージシャンも、皆幸せな仕組みになるといいなと思う。どちらも必要だからね、豊かな音楽文化のためには。だから、コピーコントロールCDみたいな、リスペクトのかけらもないやり方は良くないよね。
まあでも、なんかちょっとリッチな音で聴けるのって、とても幸せなことだなって思う。値段が同じならなおさらだね。モノを手にする喜びってのは、データだから感じるのがちょっと難しいけれど、ハイレゾ音源を聴くっていうことは、体験としては素晴らしいと俺は思う。対応するプレイヤーもこれから増えていくことだろうし。楽しみ方のひとつとして定着していったら嬉しいなぁ。俺も、最近だと電子音楽とかはハイレゾで欲しいって思うようになった。iTunesでも聴くことができるしね。まあ、オッサン趣味もあるから、レコードで買うことが多いんだけれども。
9月25日。