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アジカンのプリプロが始まった。
DIVIDEDという高級アンプが使いたくてレンタルしたところ、アツ(・シ・)ホリエのものが届いた。万年ボグナー生活のケンさんに使わせたところ、たいへんにヌケのいいサウンドになった。
その後は、悪い意味で煮詰まったり、煮詰まったり、煮詰まったり、それが原因で俺の嫌味が炸裂したりしながら作業が進んだ。最終的には、様々なアイデアが発展したのだけれども、その扉を開くのが難しかった。
バンドっていうのは個人が集まっているので、その個人の資質というのがバランスはともかく掛け合わさって、酸化なのか還元なのか知らんが化学変化のような瞬間を経て、作品が仕上がる。もとの素材、つまり個々がどうあるかっていうことが、とても大事だというか、それそのものでしかない。っつうことを忘れて、なんか大きな運動体の一部になってその運動の一部として適当に動くということも、こっそりできたりする。ある程度の活動歴があって、形が見えて来ると尚更だ。その形でいること意外にエネルギーが注がれなくなる。が、それをやられると困る。新しいものはできない。
俺がアジカンに感動できるのは、自分の作った何かが凄いとか凄くないとかではなくて、他の3人のアイデアが俺を別の場所へ連れていってくれるからだ。それがなくなったらおしまいだ。本当におしまい。だって、バンドなんて、自分だけでは見ることのできない景色だけのためにやってるのだから。あるいは、自分だけでは感じることのないフィーリングとも言い替えられる。
出来上がったアルバムを聴く人たちが何て言うかは分からない。俺は助平だから気にならないこともないけれども、こればっかりは、誰かの顔色をうかがうような作業じゃない。でもなんか、毎度、誰かに届くような確信を、新しいドアを空けたときに感じるんだよね。この見たこともない景色は、きっとどこかの誰かも、一緒になって感動してくれるんじゃないかって。
ちょっとまたアジカンで頑張ってみます。9月11日。