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ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病の認知度を高め、闘病を支援することを目的として広がったアイスバケツチャレンジ。嵐のように過ぎ去っていったけれど、俺のところには回ってこなかった。笑。
こういうことを書くと、「友達少ないだけwww」とかいうツッコミからはじまって、それはオマエの性格が悪いからだということを様々に言い換えた罵詈が俺に投げかけられそうなものだけれども、それは半分くらい正解で、どうせ面倒くさいことを言ったり書いたりするのだろうと俺の友達ならば容易に想像できるだろうし、事実、アイスバケツチャレンジが回ってくるまでもなくこのような運動を知った段階でFacebookで「誰にもチャレンジを紹介されていないけれども、寄付します」と勝手に名乗り出て日米の団体への寄付を宣言してしまったので、俺に回す寒さと、俺自身の寒さの相乗効果で、アイツに回すとなんか後味悪そう、と判断されたんじゃないかと俺は思っている。笑。
で、そういうこととは関係なく、なんか、もっと寄付やチャリティに慣れたいなと俺は思った。
なんかもう、寄付やチャリティ、場合によってはボランティアなどを見つけたら、片っ端から石を投げて「偽善者!」とか「売名行為!!」とか「本質を分かってない!」とかいう人がネット上には多くて、それを見ていてなんというか、滑稽っていうよりも「慣れてない」って言葉のほうが先に立ってしまうのです。もうなんか、自分は何にもしてないのに、とりあえず石投げて自分のポジション確認しているような。笑。最もブレてるのは何もせんとオロオロしながら雑言を投げつけているお前やないか、と。
こういうの、もうヤメにしないですか?と俺は思う。つうか、お願いだから、ヤメようよ。
有名な人たちが氷水をかぶったりするの、とても良いと思う。役割分かってるってことだからね。皮肉っぽくやるひとも、お祭りっぽくやるひとも、ALS以外の難病や問題についても切実に訴えるひとも、いろいろあっていいんじゃないかと俺は思う。結果、巨額の寄付が集まったそうだから、彼らの果たした役割はとても大きいと思う。
でも、なんというかアメリカのALSのサイトを見て、寄付に関する距離感が違うんだろうなって思ったのね。サイトでは、クレジットカードや電子マネーをつかって寄付することができる。こういうところに、なんというか、結構日本との違いを感じた。こういった違いは俺たち市民が担保してるんじゃないかと、俺は反省した。寄付することになれてないのだから、寄付される側も慣れていないというか。誠実さを求め過ぎているというところもあるかもしれない。そんなところにお金かけるな!みたいな無言の圧を、お互いに感じすぎているというか。
ちなみに、ALSアソシエイションのページはコチラで、日本ALS協会のページはコチラ。どちらも寄付できます。
困ってるひとがいる。それを知る。そこで少しでも助けになればと思って寄付する。それでいいじゃないかと俺は思う。俺の場合は、それをALSのアイスバケツチャレンジを知った時点で(誰の動画を最初に見たかは忘れたけれど)、ちょっとでも力になれたらいいなと思った。
そして、俺も寄付やチャリティに慣れたい。もちろん、世の中に寄付を求めないとならないような不条理を抱えた人たちが減るってことがベストなわけだけれども。東日本大震災の直後も、同じことを思ったなぁ。世界一綺麗な街に住んでたって、誰も助けないような社会じゃしようがないと思う。
そういった、ささやかな何かの渡し合いがスマートにできると、グッと気分が良くなるように思う。他人の行いを厳しく監視するような向きではなくて、むしろ逆だよね、本当に望まないといけないのは。あとはさ、リテラシーとユーモアが必要だよね。うん。
8月29日。