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今年のNANO-MUGEN FES.は無事に終了。2日目はスカパラとのコラボあり、潔は自身のプロデュースするスペースで出演者たちをサポートしまくり、俺は俺でレンタルズのマットのムチャ振りを受けたり、と、いろいろな交流が実になって現れた一日だった。
写真はスカパラ前、自分のパートチェックに余念のないヤマさんと余裕があるんだかないんだか分からない建さん。建さんは足がクソ長くて(ジーンズ買っても裾上げが必要ない)ムカつく。笑。
はじめたときには、海外のバンドが好きな人と日本のポップミュージックにしか興味のない人との間に、ものすごく大きな隔たりを感じて凹んだものです。でも、そこで感じたことが、NANO-MUGEN FES.を存続させる意義へと繋がっていったと思う。別に洋楽が偉いとか、邦楽が偉いとかいうわけではなくて、自分たちが影響を受けてきた音楽、つまりは川の流れや樹木の枝葉に喩えられるような意味での繋がりが断たれて行くのかもしれないということに危機感を覚えたんだよね。僕らが引用しているフィーリングや音像っていうのは、そういうことを感じてもらって発揮する/理解される部分も含んでいるから、文化として流れが寸断されてしまうのは自分たちにとってマイナスだと。そんなの関係ない、どういう音なのかだろ、みたいなことを言う人もあるのだろうけれど、俺は文脈って大事だと思っているから。
まあ、インターネットによって大きなメディアの文化的な影響力が減ったというよりは、メディアから情報を受けとる装置が個人的なものになって、楽しみも個人的なものになって、それと呼応するようにいろいろなジャンルが細分化されてそれぞれの成立するような時代になった。昔みたいに、みんなで熱狂する巨大ロックバンドみたいなものが現れにくくなったけれど、多様性っていう意味ではもっとも幸せな時代を生きているようにも感じる。自分たちのやってきたことの成果と直接関係があるかどうかは分からないけれど、そういった細かいジャンルの交流も増えて、閉じた場所からも混じり合った場所からも面白いものが生まれている。それがオーバーグラウンド化するような新陳代謝があるのかどうかってのは、もっとよく考えてみたいと分からないけれど。
とにもかくにも、状況は悪くないと俺は思う。まだまだ、なんだかなぁっていう断絶はあるんだけれども。笑。
10年続けたら意味が出てくるんじゃないかなんて話して、あれから何年かな。もう2回くらいやると、ちょうど10年ということかな。横浜アリーナでやることと、サーキット形式でやることには目的があるけれども、俺たちの体力がどれくらい持つだろうか。笑。誰かにバトンタッチしたい気分もあるけれど、ね。
参加してくれた皆さん、本当にありがとう。
最後に、今回のNANO-MUGEN FES.も、太陽光発電と蓄電池を使って、公演に使う電力の一部を賄いました。
原発事故のあと、ツアーなどでも導入している取り組みです。室内のフェスなので空調などは既存の電力会社からの電気を使っています。さすがに全部とはいかないけれど、それでも、自分たちの使う電気のことについて無自覚ではいられない。多少のコストがかかっても、こういう技術に投資していくことはミュージシャンたちの責任だと俺たちは思っています。「お前ら電気をクソほど使うのに、何が原発反対だ!」って意見、もっともなんですよ。だから、まずは自分たちの使う電気を代えていく。選んで行く。これは投票みたいなものです。俺たちは、クリーンな技術に投票する、ということ。
もちろん、太陽光発電が万能なのかどうかは分からないです。メガソーラーとか、ほとんどブームみたいになってしまっている現状には不安しかないです。環境負荷など、何かしらの問題が現れることがあるならば、別の方法を考えないといけない時代が来るかもしれない。そういうことも考えつつ、これからも自分たちがより良いと思える技術を使っていけたらと思っています。蓄電の技術には明るい未来を感じてもいます。漠然とですけれどね。使い流しにしなくて良くなることの意味は大きいでしょう。
こういうのは何も、電気だけの話じゃないんですよね。まあ、お金の話は無視できないですけれども、選択肢があるならば、より良いものを選びたい。より音の良い楽器を使いたいと思うことと変わらないんです。同時に「良さ」ってなんだろうという問いを常に持ち続けたいです。そこを不変だとしてしまうと、思考が停止してしまうことがあるので。凝り固まってしまうというか。
とても素晴らしい2日間でした。本当にありがとう。7月13日。