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日本代表の試合が朝の7時からあったので観戦した。結果は0−0だった。スコアレスドローだった。残念。
日本代表になるくらいなので、彼らはサッカーをやっていた人間の中でもほとんど妖怪に近い身体能力を持っている。俺が野球をやっているときにも、県内に数人くらいとんでもない能力を持つ選手がいたけれども、彼らでもプロにはなれなかった。140kmくらいの速球を投げようが、通算で数十本のホームランを打とうが、プロっていうのは狭き門なのだ。そういうヤツらのなかで、さらに光が輝く何かを持っている、妖気や魔力を帯びている、そういう特別な能力が必要なのだ。
そういうスーパーマンを集めても、なかなかうまくいかないこともあるのだなぁ、そんな単純な感想を持った。なんか血というか、文化というか、そういうところの差をヨーロッパや南米のチームとの間に感じる。俺が高校生の修学旅行のときに目撃した「ドーハの悲劇」から比べたら、雲泥のところまできたのだけれども。なんつうんだろう、選手たちはそういう海外の文脈に揉まれて、とても開けているように感じる。でも、取り巻く大人たちが、古い、そんな気がするのだ。ザックを選んだ大人たちの、なんとも言えない古さ、文脈の繋がってなさ、みたいなものを感じるのだった。気のせいかも知らんが。
きっと俺たち、というか、中田英寿のようなひとたちが協会を率いるような時代が来る頃には、そういう血や文化の差や、文脈とかも変わるかもね、みたいな、希望もあるけれども。ここいらの雰囲気は社会全体に通じるところもあって、頑張るぜ、俺、と、中田氏と同学年の俺は思うのだった。
結果がどうでも渋谷で暴徒と化す人々も、祭り慣れしてなくてダサイなぁと思った。どの祭りの文脈にも属していないからだと思う。田舎へ帰って地車とかを引けよ、タコ、という話だと思う。あるいは神輿を担げ、カス、という話だろう。盆に踊ろうぞ。ど阿呆。
最後まで戦って欲しい。皆、4年間、いろいろな想いでボールを蹴って、追っただろう。怪我とかもしたかも分からん。良いときも悪い時もあただろう。そういうものを全部打つけて、悔いがなくなることはないかもしれんが、精一杯、チームと自分のために頑張って欲しい。応援している。超応援している。6月20日。