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前日にホテルで呼んだマッサージ、やってきた婆さんの携帯は終始鳴りっ放しだった。「メールが一日に300通来るのよね」と婆さん、「お金を借りませんか?みたいなヤツが」とのことだった。迷惑メールだよ、それ、と婆さんに伝えたけれども、婆さんは「息子がいないと携帯のことはどうにもならない」とのことで、バイブの振動音がビービーこだます中、俺はまったくリラックスできずにマッサージを受けたのだった。そして、開始から45分あたりからは、マッサージ師を差配している事務所からの電話がしつこく入って着信音が鳴り響き、婆さんもそれに出て「このひとは60分ですよ」と誤解を解けばいいものを、なぜか無視、そのまま指圧を続行ということで、俺はもう早く終わってくれと念じながら最後の15分を過ごした。なんだ、これは。
もしかしたら婆さんは45分と60分の差額を懐に仕舞い込むためにこのような着信音地獄に俺を招待したのかもしれない。そう思うと腹が立ってしかたないわけだけれども、俺はものすごく疲れていて、それ故にマッサージ師を派遣してもらったわけで、ほぼ無反抗で耐えてしまった。マッサージが下手だな、と、60分間思い続けていたわけだけども、最後にダメ押しのように背中をグンと押されて、ヌハッと変な痛みが走った。なんしょっとか、クソババア、と怒鳴ったほうが良かったかもしらんけれども、ババアを見送って静かに寝たのだった。
朝、起きたらば背中に鈍痛。偏頭痛まであった。これはまずいと、本番前に整体師を呼んでもらい、バファリンを摂取して体調はなんとかなった。危なかった。
ライブはそんな疲れを感じさせない、躍動感溢れる夜だったと思う。終演後は皆、4日で3本という公演スケジュールで身体がヒイヒイ言っていたけれども、ギターの佐藤君の誕生日を祝うなどして楽しい夜だった。俺は、ほとんど死にかけのイボイノシシのような惨状で、果てるようにしてホテルで寝た。ダウン、に近い状態だった。バファリンに含有されていたやさしさが切れたのかもしれない、そんなことを思いながら、気絶。
あ、オープニングゲストのターンテーブルフィルムズ、良かった。嫉妬するくらい、いつ観ても良い。
5月24日。