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まずは取材。そして、ボブ・ディランを観に、というか同じ会場に居るという事実と、そこにある空気を吸いに建さんとお台場へ。アジカンのメンバーで共有しているiCalに「ボブデュララン」と書き込まれていたので、当日までとっても不安だったのだけれども、無事にチケットを受け取って入場することができた。会場内はいつもより若干渋めの客層だった。
演奏はもちろん素晴らしかった。爆音に任せて何をやっているのかよく分からない凡百のロックバンドのライブとは違って、小さい音量でデザインされた音が心地良い。そこに、数年前よりも明らかに状態の良いディランパイセンの歌とハープがやや大きめに乗る。うーむ。至福の2時間だった。もうなんというか、癖がすごい(ノブ小池)としか言いようのないアレンジも含めて、とても素晴らしい夜だった。
アンチエイジングという言葉が跋扈して久しい。まあ、ポール・マッカトニーもローリングストーンズも老いるということに逆らうように、そこらの若者なんかよりもエネルギーに満ちたライブを行っている。似たような編成のブラーが霞むわ、ポールのせいで。大人げないし、妖怪じみている。が、まあ、とんでもなく素晴らしくもある。あれはあれで、最高としか言いようがない。
でも、ディランパイセンのように、年相応に渋みを増して行く、老いとともに良さの位相が変遷してゆくことも素晴らしいんじゃないかと思う。俺はなんというか、そっちのほうがしっくりくる。逆らわず、風に吹かれるまま、ただ衰えるのではなくて、老いそのものも魅力になっていくような、アンチエイジングとは真逆の深まり方があることを、ディランパイセンは指し示してくれているように思う。こっちのほうが、日本の風土には馴染むとも思う。
ちゃんと老いる。精神においてはForever Youngを目指すのがロックンロールかもしれないけれど、身体はCan't Be Forever Youngなのだから。うむ。
噓をつき忘れた。四月馬鹿。4月1日。