福島へ
カテゴリ:日記

 

 福島へ。

 

 この日は和合亮一さんの取材。ずっと会いたかった人のひとり。でも、震災後の活発な活動をいろいろな媒体で拝見し、とても忙しいだろうと思って会いに行くタイミングを見計らっていたのだ。ようやくお話をうかがうことができて、とても嬉しかった。

 

 震災直後、和合さんがツイッター上に綴る詩にはとても励まされた。その詩は、特に俺のような人間に向けられたエールというわけではなかった。でも、グワッグワの、キワッキワの現実の中で、振り絞るように紡がれる詩と、その作者の姿(想像だけれども)に、俺は同じ表現者としてとても刺激を受けた。奮い立たせてくれた。俺は俺の場所で綴る言葉があるのだと、和合さんの姿勢をみて、自分の姿勢を正し、逃げるなと己を鼓舞したのだった。

 

 インタビュー中、雪がはらはらと降ってきた。うわぁ雪と年中積雪なんてない静岡出身の俺は思ったわけだけれども、途中からガッツリ降ってきて驚いた。

 

 話がはずんでインタビュー時間は大幅にオーバー。俺は「この電車に乗らないと遅刻」という便に乗るため、降りしきる雪の中を猛ダッシュで駅に向かったのだった。なんとか間に合うかなと改札を通ると、な、なんと!エスカレーターが工事中であった。福島駅のホームへの階段は段数が多い。俺はもうなんかわけのわからんような顔をしながら階段を駆け上って、ギリギリで新幹線の車内に滑り込んだのだった。そこから一時間くらいクラクラしたまま、座席でうなだれていた。腹が減っていたことも忘れてしまうほどたった。こういう些細な出来事も、ああ、電気の恩恵について考えさせられるものだった。

 

 俺は、原発のいろいろな問題を知るにつけ、原子力発電所が必要ない社会を強く希求するようになった。現在は1基も原発は動いていないわけだけれども、全国には沢山の原子力発電所があって(ほとんどが辺鄙な場所だ)、その中には行き場のない使用済みの核燃料や、使用前の核燃料がある。これは、別に動かしていなくても危険なものだ。プラグマティックなことを考えれば、実際にどれだけ月日が脱原発の達成に必要なのかは簡単には計れないのかもしれない。だけれども、できるならば1基もなくなり、エコフレンドリーな代替電力(バイオガスや太陽光や風力や潮力や波力や、その他なんでも)に置き換わるような技術革新を願っている。そして、そういう電気をすすんで買うことができるならば、支払い先を選択できるならば選びたい。

 

 一方で、使わないこと、節約することで、エコフレンドリーな発電所を作ることに匹敵するほどの、節電ができやしないかとも思う。俺はまだまだ、意識せずに無駄に使っている電気があるんじゃないかと感じる。それは誰かへの批判ではなくて、自分への問いだ。

 

 ひとりのミュージシャンとして、市民として、やっぱり電気のありがたみは感じるからね。

 

「電気がなくっちゃ、ロックンロールははじまらない」この言葉に、俺が大好きなミュージシャンはこうつけ加えたんだ。「だけど、原発がなくたってできるぜ」本当にそうだと思う。電気は必要だよ。ただ、より良い方法を望みたい。そこにお金を払うことが可能な料金体系にして欲しい。

 

 選ばせろってことだよね。政治家も(これは選べるのに放棄している人が多い!!)、電気も、食べる物も、俺たちには選ぶ権利がある。選ぶ自由がある。自由があるってことは責任がある。でも、今は電気を自由に選べない。なのに責任をとっても感じる。原発事故の責任を実際に感じている首都圏の人間がどれくらいいるのか分からないけれど、俺は、俺にもその一旦があると思っている。だから、今後は選ばせて欲しい。そうしたら、多少高価でも、俺は責任を持って、再生可能エネルギーで発電された電気を買いたい。

 

 みんな、選べるってことは凄いことなんだ。それを放棄しちゃいけない。選挙だってそうだよ。選べるって凄いことなんだ。

 

 3月6日。

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