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シンガポールから香港経由で台北に移動。予算や時期など、いろいろなことが重なって香港での乗り換えを余儀なくされている我々。なかなか面倒くさい。笑。だけれども、移動しないわけにはいかないので、いきなりディレイが宣告されている便に乗ってまずは香港へ。飛行機が遅れたことが幸いして、香港ではほとんど待ち時間なく台北行きに乗り継ぎ。この日も、結構な時間を移動に割いた。香港着は既に夜。
とりあえず、便を乗り換える度に機内食が出てくることに辟易としながら、文句も適度に垂れながら、それでもちゃんと食べて、笑、移動。不思議なことに、もうええわと思っても腹が空いてくる。なので、台北に着いてから、食事。前回も行ったお粥の店へ。お酒は置いていないので、コンビニで買って持って行く。持ち込みOKの店なのだ。いろいろな惣菜を少しずつ入口で皿に盛って席まで運ぶ、女将が切盛りしている居酒屋のおばんざい的なスタイルの店。とても美味しかった。
このツアーの移動中、何本か映画を観たけれども、『少年H』という映画が面白かった。戦時中の話であった。いかに庶民の心が移ろいやすいのかということを文学的に断罪している映画だ。権力にすべてを預けて、あれは軍部がすべて悪いと言い切ってしまうのは、容易い。けれども、それは間違っているように思う。現在俺たちが市民であるのに対して、当時は人々は臣民であったので、従わざるを得なかった部分もあるのかもしれない。それでも、国民にまったく責任がなかったわけではないと思う。ある程度は、権力の暴走を担保したり、加担する役割を担ってしまったところもあるのではないかと想像する。
俺たちはどうだろう。現在の市民はどうだろう。最近はそんなことを考えている。
震災後の大事な選挙だって、投票率は60%に満たなかった。実に半数近い人が、選挙に行かなかった。これは黙っているのと同じことだ。そして、低い投票率でも、その少ない得票の中でのマジョリティが、国会での多数派になってしまう選挙制度がある。だから、現在の与党は、選挙で国民の半数から支持されているわけではなかったのにもかかわらず、実質の支持率以上の選挙結果を得て、国の様々な政策は与党が望む通りにすすめられている。選挙制度自体の問題はあると思う。けれども、まあ、黙っているひとが半数もいるというのが、この国の現状。俺たちはどうしようもない無関心の中を生きている。
黙っているのは、何にでもYESと言っているようなものだ。半分以上の人が選挙にも行かないのに、民主主義だなんて聞いて呆れる。
俺はいつだって思う。本当に憎むべきは権力なんかじゃなくて、仮想敵でもなくて、無関心だ。空洞のような「世間」だ。実体などない。空洞だからね。ない、のにある、穴。それは少しずつ、俺たち市民が協力しあって作り上げているものだ。共同幻想ならまだましだけれど、ブラックマターみたいな性質だからたちが悪い。自分が担保していることに気がつかないからね。
12月21日。