シンガポール公演
カテゴリ:日記

 

 まずは午前中から観光。マーのライオンを観に行く。「世界で最も億万長者とすれ違える場所ですよー」とコーディネイターの方が教えてくれた金融街を抜けて、マー様のいる海辺へ。

 

 

 マー様は思っていたよりも大きかった。そして、その向こうに、近未来的な、大型客船が乗り上げたかのような巨大ホテルが屹立していた。ヌグヮ!と変な奇声を発しそうになったけれども堪えた。その後、その豪華客船の上にも登らせてもらったけれども、そこから見える金融街の高層ビルディング群にも目を奪われた。我々の内なる欲望を映す鏡かもしれないし、何かこの世の、あらゆる欲求不満が形を持って屹立している、そんなようにも見えた。一方で、いくつかの、フォルムの美しい建造物もあって目を奪われた。格好ええ!!建物!!と思った。そして、この街をF1が走るのだという。公道レースだそうで...。良いか悪いかは分からないけれど、日本人が憧れそうなことだなぁと思った。

 

 そして、リトルインディアとリトルアラブと呼ばれている街を散策。

 

 

 民族的な街並と、背景の高層ビルとセブンイレブン。これはこの街だけに限ったことでなくて、日本の田舎の町でも観られるものだ。世界が均一になっていくことはどういうことなんだろうと考える機会が年々増えているけれども、それが現れた写真だと思う。笑。便利であることは悪いことではない。便利であることに飲み込まれなければいいのだと思う。街や文化が、現代的な便利さを飲み込んだり、抱きしめたりすれば、目も当てられないほど均一化されてしまうことはないと思う。ハードコアに排除するのではなくて、上手に吸収していくしかないというか。それくらい、便利であることは強い。

 

 遠くに見える高層ビルの真四角なガラスは、資本主義が目指す成果の、合理性を表しているように感じる。規格が決まっていたほうが、コストは安くなる。そういうのに負けると、住居も店舗も、あるいは人間も四角くなっていく。同じ四角ならば全部替えがきく。誰でもいいのだ。ハマれば良いとコスト管理に駆逐される。そうなると街は乾く。カラッカラの砂漠になってしまう。まあ、比喩だけれども。笑。

 

 でも、日本の建具(畳とかも)って規格がしっかり決まっていて、だからこそ各分野で技術が発達したということもあるらしい。規格化によって専業の職人が産まれたってわけ。だからまあ、やりようなのかなとも思う。なんにせよ、皆が少しずつ魂を売り渡していけば、場所や方法がどうあれ、そこは比喩としての砂漠になってしまうのだということ。資本を無視して生きるのは難しいけれど、どうにか上手くやっていく方法もあるんじゃないかと、そういうことを考えたい。

 

 

 ライブは最高だった。最前列にはムスリムだろうか、スカーフを巻いた女性客もいて、韓国や台湾とは違うアジアに来てライブをしているのだということをステージからも実感した。「宗教も習慣も違う、他にもいろいろ違うところがあるけれど、血の色は同じだ。そして、ここにいる僕たちは音楽を愛している」ってことを英語で伝えたつもり。上手に発音できたかしら。笑。日本語でも滑舌悪いからなぁ、俺。あはは。

 

 終演後は皆でシンガポールの屋台市場へ。野菜は大概美味しかったけれど、ビーフンとチャーハンが微妙だった。屋台には清潔度のランクがあるらしく、そういうランク付けの埒外の店から某スタッフが買ってきたものであった。市場では屋台選びが大切。笑。ビールはとっても美味しかった。そして、バーへ移動し、ヒナッチにテキーラショットを飲まされて撃沈。気絶。

 

 シンガポール。俺はあんまり金融成金が発する匂いが好きではないけれど、また行ってみたい。隣のマレーシアやインドネシアにもたくさんファンがいるとのことで、そちらの国にも行ってみたくなった。12月20日。

 

2013-12-20 1387508820
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