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大阪は南港にある相愛大学のホールにて、メリシャカライブに出演。
巨大なパイプオルガンがそびえるホールは、パイプオルガンがよく響くように設計されているので、とても不思議な感覚だった。音響が違う。で、恐らくビートのあるものが演じられることを想定しての音響設計ではないので、ビートのあるものは長いディレイタイムというか、深いリヴァーブにちょっと戸惑う。ジャキってギターを弾くと、コンマ何秒後にジャキっと音が跳ね返ってくる。
ライブはとても楽しかった。共演の岩崎愛がもの凄く良かった。最近はなんというか、風格が出てきて、時々凄みのようなものが立ち上がっているように感じる。心を奪われる声だった。
俺は木下明水さん司会のもと、釈徹宗先生と対談を行い、それから数曲歌った。歌のほうはいつも通り。笑。消費者マインドというテーマを中心に、釈先生との対談はとても面白かった。俺は敬虔な仏教徒ではないけれど、釈先生が教えてくださる仏教的な物の考え方はとてもしっくりくる。頭にも身体にも、だ。それはこの国の言語が、つまり日本語は仏教を源流にしている単語を沢山持っているので、自然とそういう考え方になっていくということらしい。養老孟司先生がそうおっしゃっていたのだそう。なるほどと思った。
言葉というのは、つうか日本語というのは自明ではない。まあ、どうにかこうにか作り上げてきたものだ。例えば、西洋の哲学とか、そういう考え方を日本語に翻訳することで、西洋の哲学に対応した日本語ができあがる。っていうことをいろいろやってきたわけ。中国なのかインドなのか、あるいは伴天連たちが持ち込んだものなのか、そういうものに対応させてきたわけだ。そうやって拡げて、積み重ねて、育てて、今の日本語がある。というわけで、そういうときに考え方や感じ方、身体の動かし方なんかも更新されてきたはず。そういうのは言葉に乗っかっているんだね。音楽もそう。どういう言語を使うかによって、音楽は変わってくると思う。それは前述の、言葉に染み付いた思考や身体運用が影響するから、だ。そいうのは、まあでも、土地にもいろいろな形で張りついているので、言葉とリージョンが掛け合わされているはずだけれども。
そんなことを、帰ってから考えた。
あと、相愛大学のホールにはいろいろな楽器が飾ってあって良かった。弦が一本の箏とか、わーとか言いながら眺めた。12月15日。