ジョセフ・クーデルカ展
カテゴリ:日記

 

 この日はTHE FUTURE TIMESの取材。畠山美由紀さんのお話をうかがった。故郷のこと、ミュージシャンとしての様々な活動のこと、未来のこと、いろいろな話をした。

 

 日記に書き忘れたいたけれど、先日行った東京国立近代美術館で行われているジョセフ・クーデルカ展がとても素晴らしかったので記しておきたい。

 

 

 ジョセフ・クーデルカはチェコの写真家。震災直後、恵比寿の写真美術館で、ソビエトのチェコのプラハ侵攻を撮影した彼の写真展があって、俺はそこで初めてジョセフ・クーデルカの写真を見たのだった。侵攻してきたソビエト兵に向けて、一般庶民たちが家の壁や玄関に様々なポスター(メッセージを書いたプラカードのような)を貼ったことを記録した写真が好きだった。そうして、できる範囲でも抵抗する市民たちにとても勇気をもらった。そういった、ソビエト侵攻時の写真は1990年まで封印されていたのだという。「国家」が表現に対して行ったことだ。

 

 今回の写真展では、何よりもロマ、ジプシーたちの姿が印象的だった。俺は静岡を出てから、まあミュージシャンということもあって、日本を転々としながら演奏をしてまわっている。住所不定ではないけれども、ミュージシャンというのは本来、そういう生活だったのではないだろうかと数年前から考えるようになった。音楽の歴史の本を読むようになったというのもある。THE FUTURE TIMESの活動も、吟遊詩人たちのメディア性へのオマージュが源泉のひとつだ。だからとてもジプシーには興味がある。

 

 そして震災以降、土地とか地面とか、故郷とか、そういう言葉や観念が世の中ではクローズアップされているように思う。故郷への愛は俺にもある。震災を経て、とても強くなった想いのひとつでもある。ただ、そういった愛情も歪だと思うことがある。例えば、震災後の受難から避難するひとと避難しないひとたちの間で飛び交っている弾丸のような言葉は、郷土という考え方があるからこそだと思う。それなのに、案外、我々はいつからその場所が自分たちの郷土であるのか知らない。でも、強烈に生まれ育った場所を愛したりする。他人を縛り、あるいは縛られるほどに。それが幸せなことかどうかは俺は分からない。でも、いつでも帰られる場所があるというのは、ある意味で幸せなことだとも思う。そこに安らぎがあればだけど。

 

 転々としながら暮らすジプシーたちはどうだろう。故郷がないのは不幸せなことだろうか。単純に、彼らは定住するひとたちから迫害や排斥を受けることもあるという。国によってはとても酷いと文献には書いてあった。それでも、笑いあい、楽器を奏で、歌い、愛し合いうジプシーたちの姿があった。世界中のどこにでもあるようで、彼らにしかないような悲しみもそこにはあったように思う。

 

 そして、同じく行われていた「何かがおこっている1905-1945の奇跡」というコレクション展も良かった。恐らく、これはキュレーターが意図して、今、開催したものだと俺は感じた。この時代に会わせて、だ。クーデルカ展と続けて観て欲しい。俺たちの幾分増幅した郷土への愛と、クーデルカが写真に収めた故郷のないジプシーたち。そして自身も亡命を経て根無し草となった彼の写真から立ち上がる様々なイメージ、フィーリング。郷土愛もこじらせれば、人権さえも後回しにするような歪んだ愛国心のようなものが立ち上がる。コレクション展は戦争に突入していく時代を表している。それを、郷土のない、そういう場所からの眼差し、それと重ね合わせて観るのが、感じるのが良いんじゃないかと、俺は思った。

 

 ビンビンに感じまくって、就寝。12月9日。

 

 

2013-12-09 1386597060
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