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前橋。臨江閣という重要文化財でのライブイベントに参加。雰囲気のある建物で、それだけでテンションがアップした。ライブハウスはどちらかというと好きだけれど、歳を重ねてくるうちに単なる四角い箱的な性質のことを考えてしまうようになった。もちろん街や建物によってライブハウスも様々なので、一概には言えない。けれども、まあ、四角い箱だなぁと、やっぱり思う。で、四角い箱だからこそできることもいろいろあって、そういう場所でやる雑多な混じり合いがとても好きだった、特に若い頃は。
で、歳を重ねたり、いろいろな街を渡り歩く道程で日本にはいろいろな建物があり、そのいくつかはコンサート会場としても使用が可能だということを知る。そうしてそこで実際に演奏してみると、またライブハウスと違う魅力があることに気がつく。例えば、能楽堂はマイクなしでも演奏が響くように設計されているのだということを知る。まあ、ロックバンドやポップスとの相性についてはそれぞれ思うところがあるかもしれないけれど、四角い箱出身の人間には、とても魅力的に映る。まあ、ライブハウスってのは、演者があまりトランスフォームしない。ある種のルールというか、予定調和や慣習に守られてしまう。でも、変わった場所でやると変形せざるを得ない。場に合わせて、こちらがスルっと形を変え、空気を作って、それを振動させる。固定されていないので、とてもスリリングだし、上手くゆけば楽しい。
楽屋は天皇陛下が宿泊したこともあるという部屋の隣で、なんだか緊張した。蚊が多くて、どういうわけか顔を刺された。コイツの顔なら吸うてもヨシ、そういう判断だったのだろうか。
リハを行い、しばらく楽屋でボーっとしていると鶏メシが届いた。そして「このチケットで飲食ブースのものが食べられます」とスタッフがフードチケットを我々に手渡してくれた。ありがたい。ありがたいが、手作り感が過ぎるとも思った。場合によっては偽造し放題なので心配にもなった。そして何より、これを本当に飲食ブースのところに持っていったときに飲食のスタッフたちがキョトンとしてしまったらどうしよう。その場合、あの眼鏡は群馬まで来て鶏メシ弁当だけでは腹が満たされず、あろうことかルーズリーフを自分で千切って、普通ならマジックペンやボールペンなどで書くところ何を思ったか蛍光ペンで「FOOD」と殴り書き、いやいやどうも小腹空きましてんとヘラヘラした顔でやって来たではないか。阿呆か。これがメジャーのやり方か。やっぱり音楽はインディだね。そうだね。眼鏡を帰りに割ってやろう。となって、帰り際にボコボコにされてしまうかもしれない。なので、使えなかった。
ライブはとても楽しかった。少し緊張した。というのは、共演した青葉市子さんと小山田圭吾さん、ユザーンのセッションが素晴らしかったからだ。まあ、俺は俺で、俺のやり方でありったけ、オレったけを伝えたつもりではある。ハーモニカを吹いて演奏する曲でカポタストをつけ間違えてしまったのが少し恥ずかしかった。
畳でダンスをするのは難しい。なんとなく、畳はぞんざいに扱ってはならないというような気持ちは俺にもある。「畳の上でそんなことしない!」と怒られる経験は、日本人ならば一度くらいあるんではなかろうかと思う。まあ、最早畳のない家も多いのかもしれないけれど。そのダンスするしないはさておいて、こういう場合はなんというか説法みたいな、宗教的な、一方通行の関係になりがちなので怖い。俺は双方向にエネルギーが行ったり来たりするのが好きだ。偶像性が高まって、音楽が置いていかれ過ぎてしまうのも好まない。ほとんど演者が神様で、何が演奏されようとも構わないっていう状況には違和感がある。まあ、そういう性質からは逃れられない側面もあるのだけれど。逆に言えば、ダンスミュージックは踊り手を干渉しないほうが良いわけで、それは何より聴き手が主役だからだ。DJたちは聴き手に尽くす。この「宗教感」の違いってのはとても興味深いけれど、時としてとても大きな溝を作る。その2極の間を、鳴っている音楽に合わせて行ったり来たりするのが良いのだと思うのだけれど。
帰りはわざわざ高崎まで送っていただいた。スタッフは一様にとても親切で、あたたかかった。企画者とスタッフの人柄がにじみ出るようなイベントだった。こういうお祭りはどんどん増えて行って欲しいと思う。今やフェスも中央集権的な時代が終わろうとしている。いろいろな街でユニークなイベントが開催されている。なかにはしょうもないものもある。でも、こうして素晴らしいイベントもたくさんある。で、こういうのは続けるのが必ずしも良いというわけではなくて、瞬間的に美しいことも、とても大切だと思う。音楽は即時的なものだから。ただ、それゆえに永遠も併せ持っている。
前橋。また行きたい。呼んでもらえて光栄でした。10月6日。