続・休暇
カテゴリ:日記

 

 

 目ん玉が飛び出るくらい美しい景色だった。自然の、透き通るようなブルーの中を伸びて行く人口建造物。それがどうして美しさとして感情に訴えかけてくるのかは知らんが、とにかく綺麗な風景だった。島の先端に灯台があったので登ってみると、100段以上の階段しかなくて汗だくになってしまった。そして、高所が苦手だということを急に思い出して、昨晩よく洗ったキンタマが縮み上がってしまったのだった。

 

 帰りの道中、この橋から数百メートル走ったところの建物に、「原発建設反対」というペンキ文字をかき消した跡があった。運転手さんに訊ねてみると、このあたりでは何年も前に原発の建設計画が持ち上がり、住民の反対によって建設が阻止されたのだという。まったくの偶然、それは知らなんだと俺は驚いた。小戸ROY太(予測変換で出てくるこの人物は誰でしょうか。俺は知りません)。

 

 こんなに美しい場所から数百メートルのところを埋め立てたりしなくて、本当に良かったのではないかと感じた。沿岸ではアワビや雲丹の漁が行われていて、ビーチは海水浴客で賑わっていた。

 

 この場所での原発建設計画が頓挫した後、中国電力が選んだ土地は上関町だった。選んだというよりは、住民からの誘致があってという流れに仕立てたのだそうだ。余所者の俺が言うのもなんだし、真偽は定かではないが、誘致が決まる前から住民の懐柔策が取られたという話もある。対岸の祝島を取材したことがあるけれど、建設計画が立ち上がった当初の賛成派と反対派の対立は凄まじいものだったそうだ。詳しくはコチラのリンクを参照して欲しい。

 

 どうやっても、俺たちは自然を少し壊して生きていかねばならないのだけれど、どの程度までが妥当なのかという問いは、忘れてはならないと思う。経済って言葉だけで、どこまでも壊していいものなのか。そして、それは都市と地方という単純な対立で立ち上がるものではないとも感じる。経済的な豊かさだけを見れば、人や物が集まる都市にその魅力は集中する。でも、この海が都市にあることはない。ゆったりとした時間の流れも。何をものさしとするのかで、豊かさは違ってくる。均された豊かさで何かを求めれば、海を埋め、固め、なんでもいいから建造物が必要になってくる。

 

 ただ、俺みたいな都市生活者が唱えるこういった言葉も、偏っているし、空疎であるとも思う。言った側から、何を言っているのだ俺は?とも思う。俺は都会で生活し、たまにこういうところに来ては「自然って良いですね。残して下さい」と地元の皆さんの生活のことは考えずに言葉を発する痴れ者だ。

 

 ただ、こういうところを壊さずに、なんとかうまくやっていく方法はないかと考える。そして、そういう破壊を担保しているのは、俺自身でもあると恥じ入る。改めないといけないのは、いつだって己だ。

 

 宿に戻ってから、『東洋美人 純米大吟醸 壱番纏』というお酒を飲みながら、食事をいただいた。大変に飲みやすい清酒はスルスルと胃袋に心地よく流れ込んで、俺は飲酒のペースを保つことができず酔っぱらってしまい、あーなんかええ感じの休暇だなぁと口笛を吹きながら大浴場でキンタマをよく洗ってから寝た。


 8月21日。

 

 

2013-08-21 1377042000
©2010 Sony Music Entertainment(Japan) Inc. All rights Reserved.