終戦記念日と水木しげる
カテゴリ:日記

 

 終戦記念日。いろいろなことを考える。

 

 戦争が終わって68年。例えば、太平洋戦争の頃に現在の俺と同じ30代中頃だった人たちは、もうほとんど亡くなってしまった。どんどんと終戦記念日の回数は増えていって、そのうち戦争を体験した人たちはいなくなってしまう。それは仕方がないことなのだけれど、語り継いでいかなければならない悲惨さが戦争には必ずある。理由や信条や状況がどうあれ、人が人を殺すのが戦争だからだ。

 

 俺は水木しげるの戦記物のコミックが好きだ。好きと言うのは少しおかしいかもしれない。何しろ、戦争を取り扱ったものだから。『コミック昭和史』は水木家のあれこれに重ねながら関東大震災から終戦、復興までの昭和史を読むことができる。『総員玉砕せよ!』では、戦場でのいろいろな立場の人々の葛藤について想いを巡らせることができる。一筋縄ではいかない、様々な心情や不条理が描かれている。俺の日記を読んでくれている中学生や高校生にはお勧めしたい。大人の人は他に読む本があるかもしれないけれど、水木しげるの本は素晴らしい、とだけは伝えておきたい。

 

 二度と会うことができない恋人や、友人や、家族を想いながら敵陣に突入していく兵士の気持ちはどうだったろう。絶対に勝ち目がないと分っていながら、だ。作戦の失敗を理由に自決させられた人たちはどうだったろう。最後に誰のことを想ったんだろう。帰りを待ちわびて、再会が叶わぬまま生きていく人たちの気持ちはどうだったろう。

 

 戦争でなくなった人は310万人だという。「英霊」という言葉でまとめるには、あまりにも膨大な、それぞれの生活や、想いが、そこには積み重なっている。それがどういうことか考えたい。例えば、「フクシマ」という言葉が福島県で暮らす人たちの多様性を奪って、カタイコトバデイメージヲウバイサルヨウニ、戦争もまた「戦争」としてしまえば平べったい何かになってしまう。人ひとりに交わる様々な想いのことを考えれば、君や、俺は、のっぺらぼうな死者ではない。友人がいて、家族がいて、あるいは恋人がいて、あるいは嫌いなヤツもいて、そうやって人間なのだ。それが人だ。

 

 正午に静かに目を閉じる。

 

 だけど、本来、追悼は、不戦の誓いは、いつでもできる。そのことも忘れてはいけないと思う。メモリアルは大切だけれど、それが奪う多様性もある。だから、何げない日常のなかでも、俺はそういうことをたまには考えたいなと思う。そうやって、繋いでいけたらなと思う。

 

 8月15日。

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