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南相馬市に行き、福興花火のライブイベントで数曲弾語り。
会場はTHE FUTURE TIMES 4号で取材させていただいた上野さんの家の近くの神社脇の広場(上野さんの記事「今を生きること」はこちら。是非、一度読んでみて下さい)。トレーラーの上に設営されたステージで数曲演奏。高校生たちが最前まで詰め寄せてくれて、なんだか近くてくすぐったいような気持ちになった。
俺は前日から何を歌おうか悩んで、うまく寝付けなかった。というのも、俺の曲は基本的に暗い。元気だとか楽しいだとかを前面に押し出した曲はなくて、どこかに負の部分を挿入してしまうので、そこがクローズアップされないか心配になってしまうのだ。そんなつもりで書いてはいないと居直ることもできるだろうけれど、なんとなく、俺が表現者として未熟だからなのか、そうはいかないというか、毎度毎度、こうして被災地域で歌うときには考え込んでしまう。
なんとか前日に演奏曲を決めたのだけれど、直前に上野さんから聞かされたのは「今年は、空に向かって、俺たちは大丈夫だよ、楽しくやってるよって、安心させるようなイベントにしたい」ということだった。それで、俺は一旦前日に考えたセットリストをナシにして、新しくセットリストを考え直した。で、それも結局、高校生の顔などを見ているうちに即興で変えたくなって、その場で考えながら決めて、歌ったのだった。
ループ&ループ、ソラニン、123456 baby、大洋航路、マーチングバンド、今を生きて、と6曲続けて歌ったところで鎮魂の花火の時間になった。坂本龍一さんの演奏(録音ね)による赤トンボをバックに、亡くなった方々を追悼する花火が打ち上げられた。そのあと、俺はAllright part.2、夜を越えて、の2曲を続けて歌い、アンコールで海岸通りを歌った。
最後に写真を撮影。みんな、いい顔をしてくれていて、とても嬉しかった。Allright part.2はお世話になっているカメラマンの渋谷さんの息子からのリクエストだった。子どもには覚えやすいので、人気があるらしい。へぇ、と思った。あと、ソラニンは悲しい曲なんだけど、明らかに高校生たちが聴きたそうだったので、歌った。リライトはバンドじゃないと無理だよと断ったけれど。笑。夜を越えては一部歌詞を変更して歌った。
終演後は盛大な花火大会。俺はサインをしていたりなんだりで、半分しか見られなかった。それでもすごく豪華で、また南相馬のあたりは明るすぎないので夜空に花火が映えて、最高のシチュエーションだと感じた。上野さんのお宅に集まった数十人の仲間たちと眺める花火は、とても美しかった。目頭が熱くなった。
同時に、とても悔しかった。原発事故さえなければ、もっとシンプルに進んだこともあるのだろうと考えた。同じ場所に居合わせた平山さん(平山さんの記事も読んでほしい)が俺に言った「南相馬には、こんなに人が集まって羨ましい」という言葉が忘れられない。平山さんの故郷である富岡町の現状を考えると、俺には返す言葉がなかった。また目頭が熱くなった。こぼれ落ちる寸前だった。毎日毎日、暗いニュースが続いていて、それを見る度に俺は悔しくて仕方がない。
まあ、あと30年生きられたとして、俺が死ぬまでに双葉や南相馬の海辺の町は元通りになるのだろうか。なんとしても見届けたい。ああ、いろいろあったけれど、戻れて良かったという日が来ることを、祈りたい。願いたい。この日記を読んでくれた人たちのなかに、同じように思ってくれる人がいたら嬉しい。
本当に悔しいよ。8月11日。