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広島に原子力爆弾が投下されてから68年。
どうして原子力爆弾の投下は戦争犯罪として罪を問われないのか、俺はずっと疑問に思っている。こんなにも無差別で、酷い攻撃があっていいのだろうか。軍人も市民も関係なく、すべてを焼いて、その後も多くの人たちが様々な後遺症に悩まされ、亡くなっていった。何も原爆投下だけではなくて、東京大空襲だって、その他の街への空襲だって、無差別に行われたのではないか。戦争にルールがあるのは不思議なことだとは思うけれど、戦勝国だからといって、これほど酷い行いについて一切問われないというのは、どう考えてもおかしい。
広島市長の『平和宣言』は素晴らしかった。NHKを観ながら、参列者と一緒に黙祷した。
俺は戦争の後に生まれた親父たちの世代の、息子の世代にあたる。戦争がどういうものか、直接は知らない。だけれども、戦争の悲惨さだけは理解しているつもりだ。
こんな非道がまかり通った、そういう狂った時代だったということだ。民族としての怒りではなくて、人間としての怒りだ。悲しみよりも、怒りが年々増していて、自分でも怖い。もちろん、あんな戦争は二度と繰り返してはいけないけれど、核爆弾という非人道的な兵器を無差別に2発も投下したアメリカという国も恥を知るべきだと思う。そしてその恥は、人類が共有すべき恥だ。使われはしないけれど、世界中にその弾頭が何発あるのか。
まったく暗い気持ちにしかならない。冥福を祈る。8月6日。