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※この日記は100%妄想で書かれています。
苗場に着くと大雨だった。腰、まで水。俺は都内から乗ってきたハーレーダビッドソンのバイクを苗場プリンスの柱に鎖で繋いで、歩くというよりはほとんど泳ぎながらレッドマーキーに向かった。途中、ヤキソバ屋が舟に乗ってやってきたので、もち豚入りのソース焼そばを注文し、その焼そばを濡れないように頭部(合羽のフードの内側)にしっかりと巻き付けて泳いでいった。しばらく進むと、浅瀬から浮き島のような部分があったので、上がって焼そばをハモハモと食べた。が、腰掛けた流木が半分腐ってルマンドのような状態になっており、身体と衣類に染み込んだ水分の重みで後ろに尻餅をついてそのままひっくり返った。焼そばは頭の上でぶち撒かれて、ソバージュパーマのような外見になってしまった。
レッドマーキーに辿り着くと、QUATTROが演奏中だった。ワナゲラッ!ワナゲラッ!と盛り上がっていた。なるべく近くで観ようとオーディエンスの関節をひとりひとり極めながらグングン前まで進んでいって、最終的に柵を飛び越えてステージ下にかぶりついたが、不思議なことにお咎めなしだった。むしろ、何か偉い人が来た!という対応だった。恐らく、頭の上に乗せたままにしておいた焼そばが原因で、誰かに間違われているのだろう。ラッキーだった。
QUATTRO“ほどけた靴紐”
QUATTROの途中で、そういえばオレンジコートに行きたいんだったということを思い出した。参った。観たいものが被っていたどうしよう。ステージ裏に入っていって、全力で困った顔をしていると、どこからかスタッフが飛んできた。とても心配してくれている。それも何か俺を要人として間違えているからなのだけど、意地の悪い俺は「これを利用しない手はあるまい」などと腹の中で思って、オレンジコートまで送ってもらうことにした、馬で。
オレンジコートに着くとTURTLE ISLANDが演奏中だった。峠のようなところを馬で疾走しているあたりから演奏が漏れ聴こえてきたので、馬の上で踊りはじめ、踊りながら馬を降り、そのままオーディエンスの輪に加わった。
TURTLE ISLAND “この世讃歌”
気絶していたらしい。気が付くととTHE SEA AND CAKEの演奏中だった。かなり良い感じでアガったが、頭の上の焼そばが何者かに食べられてしまったらしく、すっかりなくなっていて落ち込んだ。
THE SEA AND CAKE “Weekend”
落ち込んでばかりはいられない。なぜならば、ボーッとしていたらレッドマーキーのRHYEに間に合わない。俺はフィールドヘブンと呼ばれる半裸の老若男女が踊り狂うエリアに行き、何か怪しいキノコが丸ごとのった焼そばを買ってひっくり返して頭に乗せ、キノコだけを齧りながら関係者エリアにずけずけと入って、また馬に乗せてもらってレッドマーキーに戻った。今度は白馬に乗せてもらった。
RYHEは無茶苦茶良かった。「女の人だと思ってた〜!」とキャピキャピしているお婆さんがいたので、食べかけのキノコを半分差し上げた。
RYHE “open”
泣いていた。一回こっきりしかアメリカに行ったことはないし、RYHEは確かカナダのアーティストだけれども、俺の中の「全米」が泣いていた。
続いてLOCAL NATIVES。今回、最も観たかったバンドだ。レッドマッキーはテント、つまり庇のあるステージなので降ったり止んだりする雨に濡れることはなく快適だったけれど、首の下まで雨水が溢れてたまっていたので、顔だけ出して彼らの演奏を観ることになった。それでも、会場はパンパンで、5000個の首、という見た目は壮観で、彼らの演奏もエキサイトしたものだったように思う。
LOCAL NATIVES “YOU & I”
俺の中の「全米」がまたしても感動していた。やっと念願が叶って生で観ることができたので、その感動もあったかもしれない。首まで水に浸かりながら、泣いた。会場中の人たちが号泣していたので、水嵩が少し増して、のど仏の辺りまで水に浸かった。しかし、良かった。
BRAHMANまで少し時間があったので、フードエリアで飯を食った。いろいろな国のいろいろな郷土料理が販売されていて驚いた。そういえば、朝に焼そばを少し食べて以来何も食べていなかった。俺は会場全体を舐め回すように物色したあと、暗がりでひっそりと販売されていた熊鍋、丸ごと揚げた芋、マンゴープリンなどを食べた。全部で800円だった。安過ぎる。
BRAHMAN
BRAHMANは圧巻だった。MCの全文書き起こしはコチラ。多くの人に読んで欲しい。
BRAHMANの演奏が終わったので、俺はTAME IMPALAを観にレッドマッキーに移動した。水はすっかり引いていた。
TAME IMPALA “Mind Miichief”
キノコ入り焼そばのキノコが毒キノコだったのか知らないが、ほとんど幻覚のようなものを観ながら彼らの演奏を楽しんだ。隣で、さっきの婆さんが踊り狂っていた。よく見ると顔が松木安太郎に似ていた。この婆さんと躍ってみたい、そんな気分になったので手を差し伸べると婆さんの身体を俺の手がすうっと突き抜けて焦った。どうやら、婆さんそのものが幻覚の一部らしい。参った。参ったが楽しい。なので、俺はそのまま心の赴くままに踊り、楽しみ、最後は失禁しながらその場で気絶してフジロックの初日が終わった。
つづく。
※この日記は100%妄想で書かれています。