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東京戻り日。
整体に行った後で、恵比寿の写真美術館へ『世界報道写真展2013』を観るために寄った。
以前、ツイッターで「皆がスルーしてこんな世の中になった」と呟いたことがあって、それに対して「こんな世の中と言うけれど、十分恵まれているじゃないか」という反論があって、俺はいろいろ考えていた。この写真展にある、例えばパレスチナのガザ地区に比べたら、俺たちは確かに銃弾やミサイルの飛び交っていない「世の中」を生きている。確かに、そうかも知しらん、と、一瞬思うけれど、本当にそうか?という問いもある。そうやってAとBを比べ続けて、どっちが幸せか不幸かっていう話をしているわけじゃない。この国に少年兵はいないけれど、少女売春はなくならない。彼女たちは、ある意味で戦場にいるのかもしれない。誰が幸せで誰が不幸なのか、俺に決められたくもないだろう。だけれども、まあ、そういう相対的な幸不幸を全く無視して「幸せなんて自分がどう思うかでしょう」みたいなことも違うと俺は思う。バシっと、一言で片付けられないくらい、大きな問いだと思う。一生賭けて悩むべきだと、俺は自分に課している、その問いを。
ただ、2013年の俺たちの「世の中」は白けきって、恐らく参議院選挙の投票率も過半数以下で、原発が動こうが双葉郡の自宅に帰れないひとがいようが自宅に電気が来ている間は黙っているような人たちがほとんどで、とりあえず今が良ければ将来の世代にどんなツケをまわすことになるだろうが知らん顔で、黙り込むことでせっせとこの「世の中」を作り出しているわけだ。スルースキルと、空気を読むとかいうチカラとやらで。まったく素晴らしいことだよ。
この国では、ミサイルも弾丸も透明なの。あ、言っておくけど、これは比喩だよ。
追記。そして、相対的には、この国は恵まれていると思う。だからこそ、そういった沈黙するためのスキルが必要とされるのかもね。