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まさかのタイミングで喉を潰してしまうという、信じられないアクシデントがあったけれど、ヨーロッパツアーが無事に終わった。念願が叶うというタイミングで、同時に悔しい体験も発生するのが俺らしいと思う。また行け、ということなんだろうと思う。そうやって続いていくのだと思い知り、決意を新たにして飛行機に乗り込んだ。
外国の地で、外国人の我々の音楽に熱狂する現地の人々。普段は洋楽アーティストを迎える側として、俺は熱狂している人間なのだけれど、立場が違うとこういう気持ちなのかと、実際に体験して分かることもあった。
と、同時に、普段からクヨクヨ悩んでいることのほとんどが、無駄とまでは思わないけれど、そこまで心を費やすほどのことではないようにも思えてきた。
例えば、多くのミュージシャンは恒常的に的外れな批評に曝されているわけだけれど(それは表現の宿命なのだけれど)、ときに、単なる感想以下の駄文や無理解を煮詰めたような批評もどきとストラグルすることがある。でも、そんなものは無意味だ。音楽があり、熱狂がある。その間には本来、何かを挟む余地はないんだと思う。だけれども、偏見や誰かの自意識なんかが挿入される。それ自体はポップミュージックを面白くするエッセンスのひとつだけれど、情報化が進む社会の中で、創作する側がいちいち足をとられる必要はないんだ。
まあ、そんなことは当たり前なんだけど、持ち前のややこしいメンタリティによって、俺は一切の誤解が許せない、みたいな感覚でここまで来たわけだ。文句言うやつにいちいち反論してまわるみたいなやり方で。笑。それにはもう飽きた。どんな人たちとエネルギーを交換するべきか、それは目の前にいる人たちだし、耳を傾けてくれる人たちなんだ。
というわけで、ヨーロッパツアーは大分背筋が伸びるような体験だった。大事なことを、再確認したように思う。
俺はもともと、誰かに何かを分かってもらえると思って音楽をはじめていない。むしろ、誰も分かるわけないだろうと思っていたし、分かって欲しいと思ったこともなかった。それは今でもそうかな。だけれど、通じ合う瞬間があること、それがとても美しいことを今では知っている。それは日本でも、世界に出ても、変わらずに美しい。その瞬間に捧げ続けたい。どこかの誰かと、音楽を介して、一瞬でも繋がるそのときに向けて。
音楽の、そういう魔法のような力を信じているからね。
やっと、フラットな場所に立てた気がする。新しいスタートというか、ね。行けるならば、どこまでも転がって行きたい。6月5日。