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CHABEさんの勧めでカート・ヴォネガットの『国のない男』を買って読んだ。感銘を受けた。
少し引用したいと思う。「3 小説を書くときの注意」から。
「芸術では食っていけない。だが、芸術というのは、多少なりとも生きていくのを楽にしてくれる、いかにも人間らしい手段だ。上手であれ下手であれ、芸術活動に関われば魂が成長する。シャワーを浴びながら歌をうたう。ラジオに合わせて踊る。お話を語る。友人に宛てて詩を書く。どんなに下手でもかまわない。ただ、できる限りより良いものを心がけること。信じられないほどの見返りが期待できる。なにしろ、何かを創造することになるのだから。」
辛辣なジョークがたくさん書かれていて、それは笑わせるためだとカート・ヴォネガットは綴っているのだけれど、読んでいると絶望的な気分になる(少なくとも俺は)。というか、改めて己を含めた人間の愚かさを再確認させられてしまう。こんなジョークでどうやって笑えと俺は思うのだけれど、こうでも言わないとやっていられない気もする。俺も皮肉屋だけれど、彼のように洒落た言葉で語りたいなと思う。どうせ皮肉を言うなら、ね。
これから何度も読み返す本だ。間違ってブックオフに出されてしまわないように、本棚の一番良いところにしまおうと思う。
それから、この日は内田樹先生と釈徹宗先生のお話をうかがってきた。贈与や布施という考え方から、どうやって俺たちは行き過ぎたグローバル資本主義と向き合っていけばいいのか、ということについて。ひいては、なるべく安い支払いで最も価値の高いものを手にしたいという消費者マインドの加速を、どのように止めるのか、あるいは自覚していくのかという話も。お金で買えないはずのもの、例えば教育だったり、そういうものまでお金ありきで消費されてしまう世の中の流れに、どうやって抗うのかということ。とても勉強になる話でした。
例えば、仏教では、布施というのは何もお金ばかりではなくて、「無財の七施」という考え方があるそう。そのうちのひとつ、「愛語施」。思いやりのある言葉を相手に投げかけるのも、お布施であるという考え方。これまた言葉について考えさせられる内容だった。俺は口汚いというか、辛辣な言葉を平気で吐くような癖がある。そういうことろは、省みないといけないなと思った。
皮肉屋が性分だとしても、せめてヴォネガットみたいに、クールな言い回しでジョークにできるような、そういう言葉を吐き出したい。簡単ではないけれど。5月20日。