鰻屋 下(シモ)
カテゴリ:日記

 

 鰻丼を頼んだ後、俺たちはしばらく放心、無言、というかたちで、それぞれに思っている「ヤバいな」感を表出させていた。不安に追い打ちをかけたのは、店の数カ所に張られた「国産鰻絶滅危惧種指定へ」という新聞の切り抜きだった。もしかしたら、店主は鰻を出したくないと思っているのではないかという妄想にかられた。その割に水槽には「国産鰻!」とアピールするような字体で書かれたポップが貼ってあった。どうしたいんだろうか、という疑問が残った。俺たちは、増々無口になって、iPhoneを弄る者などもあらわれだした。

 

 このままでは気まずい。この場合は笑い飛ばしてしまうに限る。と、いうことで、自然と話題の中心は「この店のどこかにヤバいところはないか」ということになった。俺たちはVIPルームのカラオケがコインを入れないと歌えないタイプの機器であることに驚いたし、壁もミラーボールもけっこうヤニで黄ばんでいるのにも関わらずテレビモニターが巨大かつ超薄型であるアンバランスにも気づいた。VIPルームには従業員しか入れないトビラがあり、サイズ的にはトイレかもしらんとエンジニアは主張したが、トビラには外から鍵がかかっており、しかも木村拓哉のセコムのポスターが貼ってあるのだから絶対にトイレではありえないと俺はその意見を退けた。トイレに盗まれるものはないだろう。「セコムしてますか?」木村拓哉はとても悲しそうな顔でそう訴えかけていた。セコムしていないだろう、いや、されていないだろう、と、俺たちは満場一致で感じていたわけだけれども。

 

 そのような話題で、俺たちは鰻を待った。途中、エンジニアの声がデカいので少しハラハラした。なぜならば、このような会話を女将や店主が聞いた場合に気分を悪くすることは必至なわけで、そうなった場合に鰻や汁物などの料理の手を抜かれてしまうかもしれない。ここまでで一人頭1800円という支払いが確定している以上、どうにかそれ以上のものを味わって帰りたい、と俺は思っていた。見かけヤバいけど絶品鰻の店、そういう話だったら1800円だって安いと思えるかもしらん。そう思いたいじゃん。声デカいぞ、古賀!、俺はそう思いながら、じっと待った。そして、俺たちはヤニで汚れた壁面にとんでもない張り紙を発見する。

 

「当店では付きだし500円いただきます」

 

 うわぁ、やられた。表のホワイトボードだったか黒板だったかには定食1500円みたいな、明朗会計みたいな、そういう表記がされていたように思うのだけれども、付きだし料が加算されるとは知らなかった。これはほとんど詐欺ではないか、書いてないだろ!と俺は頭に来て、表のメニューを確認しに行ってみた。もの凄く小さな字で「付きだし500円いただきます」と書いてあった...。俺はとても暗い気分になった。トボトボと中国人たちのテーブルとカウンターの間を通ってVIPルームに戻り、参ったな、と思った。一人2300円、これはちょっとした奮発ではなくてはっきりと贅沢、普通にいい感じの飯になってしまった。8人前なので、お会計も2万円近くなってしまうではないか。阿呆か。ああ、負けた。表の「国産鰻」と書かれた水槽に負けた。うわー。そういえば表の黒板を観に行ったときに鰻が水槽から減っていなかったな。どういうことだろう。あれからかれこれ30分くらい待ってられるのも、良い鰻屋は注文から捌いて焼いて出すまでに大体40分はかかるよね、それが良い店かどうかのバロメーターだよね、というウンチクによるものなのだけど、それすら信じられなくなってきてしまった。俺は何もかもが不安になってきてしまった。

 

 しばらくして、ようやく付きだしが出てきた。小魚のクギ煮と大根おろし、鰻の骨の揚げたの、など3品が乗っていた。俺たちは次第に口数も減ってきていて、部屋にはボリボリと、8人が鰻の骨を齧る音が響いていた。カラオケルームということも手伝ってか、かなりクリアに自分以外の人間が齧っている鰻の骨の音が聴こえた。「ボリボリうるせーな」と小さな言い争いをはじめる者もあった。鰻屋のVIPルームで8人が同時に鰻の骨を齧っている。なんとも異様な空気だった。ポリポリ、ポリポリと、VIPルームは鰻の骨を齧る音だけになった。

 

 鰻が登場したのはそれから10分後くらいだったと思う。出てくる直前、カラオケルームに少しだけ鰻のタレの匂いが漂ってきた。おお、と俺は思った。そして、まずは日和って1200円の焼き魚定食を頼んだシモリョーの焼き鮭が出てきた。シモリョーは焼きたての鮭をつつき、「これ旨いですよ。これなら鰻もうまいんじゃないですかね」と死んだような魚の目をしながらテキトーなことを言った。皆はそれを聞いて少しだけテンションを取り戻した。鰻だけはいけるかもわからん。2300円の絶望の中に、そういう希望を見つけた。そして、シモリョーの焼き魚定食に載せられている茶碗に盛られた白飯がツヤッツヤで、めっちゃくちゃ旨そうだな、と俺は思った。炊きたて、みたいな米だなと思った。シモリョーはあまり多くを語らずに、鮭をつついていた。

 

 続いて、俺たちの鰻丼定食が運ばれてきた。待ってました、と俺は丼の蓋をとって、鰻と対面した。まあ、1500円だし、鰻重などに比べれば安い金額のものなので、鰻はそんなに大きくない。というか、心なしか小さい気もするけれども、そんなの認めたくない。サイズの話は置いておいて、とりあえず、箸を尻尾のほうに入れて一口大に分けて白飯と一緒に口に放り込んだ。旨かった。めちゃくちゃ旨かった。鰻ではなくて米が。なんだこれは、と、いうくらい米が旨かった。つやつやとしていて、ふっくらと炊きあがっている。今まで食った鰻屋の中でも最も旨いと断言できる白飯だった。俺は感動して、旨くない?米?と皆に思わず訊ねてしまった。皆も一様に米がチョー旨い!という感想だった。

 

 だけども、ちょっと待て。これ、炊きたてじゃない?そういう疑問を持ったのは3口目か4口目だったと思う。5口目には間違いなく炊きたてだと確信した。だとすると、40分という待ち時間はええ感じの鰻屋が捌いて串を打って焼くのにかかる時間なのではなくて、単純に8人分の米がなかったので炊いていただけではないのか、そういう疑問が俺の心の中にむくむくと立ち上がった。思い返せば、水槽の鰻は一匹も減っていなかった。となると、あらかじめ仕込んで置いた鰻を焼いた可能性も出てくる。その場合、40分も焼いているなんていうことを考えられない。むしろ、その40分で米を炊いた可能性のほうが高いんじゃないかと思えてくる。店主も俺たちが来る前はVIPルームで煙草をふかしていたわけで、ああ、えい、今日はもう閉店だな、暇だな、面倒くせえ、そう思って閉店の時間を待っていただけかもしれない。炊いた米が切れかかっていても不思議ではない。

 

 でも待てよ、と、もしかしたら、米も一緒に炊くタイプの超デキるタイプの鰻屋なのかもしらん。一人ひとりの分を小振りの釜で炊いて、鰻の焼き上がりに合わせて出しているのかもしれない。そういう可能性は否定できない。ただ、その場合、このVIPルームはなんなんだという話になってくる。ほんの数回だけ本当に美味くて時間のかかる鰻屋に行ったことがあるけれど、そういう鰻屋は本格的な日本家屋だったりしっかりしたビルディングだったりした。ミラーボールをまわしながらカラオケのできる鰻屋だった試しが、ない。あるわけねーだろ、そんな部屋。鰻に対する気合いと、このVIPルームのミスマッチを埋める何がしかが見当たらない。鰻だけで勝負できる店に、多分、カラオケはないと思う。

 

 俺たちは一同、なんとも言えない気分になったのだった。それでも、米が炊きたてで死ぬほど旨いので、暗い気持ちのどん底には沈みきることなく、鰻丼を完食した。お百姓さん、ありがとう、そういう気持ちが込み上げてきた。

 

 そしてお会計。8人で2万円近い値段であった。もしかしたら別途VIPルーム代を取られるかもしれないという恐怖もあった。「お部屋代3000円です」となるかもしれない。そうなった場合は年長者として女将を一喝しようと、レジの前に立ったが、代金は食事代だけだった。

 

 俺たちはトボトボと商店街を歩いてスタジオに戻った。歩いている間は、ずっと疑惑の(炊きたての)米の話をしていた。もう一度行ってみないことには、あの店の白飯が毎度あそこまで旨いのかどうかが分からない。もう一度行ってみて、米が普通ならば、今回の疑惑の40分の本当の理由が分かるかもしれない。だけれども、もう一度行ってみたいという気持ちが起こらない。参ったね。どうしようね。とりあえずネットで調べてみるか。ということで、「店名、米がめちゃくちゃ旨い、鰻屋」などと打ち込んでグーグル検索してみたものの、何の情報も得られなかった。

 

 俺たちは全てのレコーディング行程が終了した後、その鰻屋のVIPルームでの打ち上げ(カラオケ大会)を計画している。

 

 4月12日。

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