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午後から根を詰めて行っていた管楽器のレコーディングが一段落、俺たちはスタッフ含め総勢8人で夕飯を食べるために街へ出た。20時を過ぎていたので、商店街の飲食店は混雑のピークは過ぎたという感じで、中には既に店じまいを始めている店舗もあった。選択肢がみるみる減っていく、そういうプレッシャーを感じながら、俺たちは来慣れていない商店街でええ感じの店を物色していた。
なかなかグっとくる店が見つからなかった我々は、とうとう200メートルくらいある商店街を突っ切って大通りに出てしまい、Uターンして引き返すことになった。そして、途中で見つけて入店を見送っていた鰻屋に入ることにした。どうして行きの段階で鰻屋に入ることを躊躇したのかというと、単純にバンドのレコーディング(しかも、インディーズ)の夕飯に食べるには鰻屋のメニュー全般の価格が高かったからで、一番安い鰻丼でも1500円。これでは、レコーディングの総額における食費の割合が上がってしまう。エンゲル係数が上がってしまう。300円で牛丼が食える時代に、一杯1500円もするような鰻を食いながら作ったロックバンドのアルバムなんて、なんか感じが悪いような気もするし、プロデューサーとして、これからが勝負という若者たちに制作の段階から鰻などを食わせてしまうと、彼らのハングリー精神を奪ってしまうかもしれない。「人の金で鰻を食えるようになったぜ!」と変な達成感を持って食後のレコーディングの手を抜いたり、「成功した!」と勘違いしてアルバイトを辞めてしまうかもしれない。その場合、彼らの生活は困窮してしまう。フックアップするつもりが、逆に谷底に突き落としてしまう。それはまずい。と、思ったからだった。
ただ、商店街を往復してみて、それ以外の選択肢がなかった。というか、何より俺が、鰻食いてぇなぁ、と思ったのだった。
店内はそこそこ狭かった。真ん中のテーブルに旅行で訪れたのか中国人女性が焼き魚定食をつついている。俺らはカウンターと手前の席に別れれば8人全員座れるね、そうだね、というようなことを話しながらカウンターのあたりまで行き、女将さんに人数を伝えた。すると女将さんはにこやかに「奥もありますよ、どうぞ!」と奥のドアを開いたのだった。おお!奥に個室みたいなのあったわラッキーと、俺らはぞろぞろとその部屋に入っていった。と、同時に中から中肉中背で丸刈りのオッサンが出てきた。一瞬、何?と思ったら店主だったらしく、彼はスっと厨房に入っていった。
個室はカラオケルームのようになっていた。通信用のカラオケ機と大型のテレビモニター、ミラーボールなどが設置してあり、かなり本格的だ。ソファーが部屋の壁添いにグルリと設えられていて、カラオケボックスのパーティルームのようでもある。手前の机の上には灰皿が置いてあり、消していない煙草が一本刺さったままになっていた。店主が休憩していたのだろうと、俺らは申し合わせることなく、同じことを感じた。そして、煙草が消されていないことに、少しだけ何かヤバい場所に来てしまったのではないかという直感もあった。
しばらくすると、女将さんが注文を取りにきた。「まずはお飲物から」と女将さんは言う。だけれど、ここは鰻屋で、俺らは夕食に来たのだし、まだレコーディングもあるのだから酒を飲むわけにはいかない。当然、「お茶でいいです」という返答になる。当たり前のことだ。すると女将はこう切り返した「一応、ワンドリンクずつ頼んでいただかないと...」。意味がわからない。意味がわからないのでそう伝えようとすると、それを察してか女将は間髪入れずにこう行った「VIPルームですから」。
ガビーン。参った。俺たちがただの個室、しかも女将の善意だと思って入ったこの部屋はVIPルームだったのだ。うわー。俺たちは女将に気押されて動転、烏龍茶、コーラ、レモンスカッシュなどを頼んでしまった。それぞれ各300円だった。1500円の鰻丼を食おうかどうか悩んでいた俺たちであったが、それぞれ1800円になることがここで確定した。帰る、という選択肢もあったが、女将の「VIPルームですから」が脳内で木霊し、俺たちは金縛りにあったように、続いて鰻丼を注文してしまったのだった。
悲劇の始まりだった。
つづく。4月11日。