忍者の仕事
カテゴリ:日記

 

 今日も私は繰り返している。行って、帰って、行って、帰る。開村からしばらくの間は数えていたのだけれど、今ではもう勤続年数も忘れてしまった。子供たちも成人して、とうにこの家を出て行ったきり連絡も寄越さない。どこかでひっそりと世を忍ぶように暮らしているのだろうか。だったら私の血を濃く受け継いでいるのだろう。時代の表舞台に立つことがなくても、強かに、生きていって欲しい。それが親である私の願いだ。女房は随分前に蒸発してしまった。ドロン、そういう擬音語が本当に有効な瞬間などあるのだろうか。そう考えたこともあったが、まさにドロン、と、女房は消えていなくなった。忍者の嫁、らしい去り方だった。

 

 日頃の任務は地味だがハードだ。行きはまだいい。シンプルな筋肉の使い方で済む。けれど、「なんかちょうだい」みたいな感じで両手をキープしておくことには技術がいる。「砂漠で3日振りに水を飲む」というような雰囲気もある。この手の感じを出すのには15年くらいかかった。それでも意識のほとんどを上腕とロープの当たる下腹に集中しておけば、あとは経験でどこまでも進むことができる。その気になれば反対側の壁を突き破って観光客を驚かすことだってできる。でも、私は毎回、ピタリと同じ位置で引き返す。寸分狂わず、同じ場所で。それが私の美学でもある。1cmの狂いもない、はずだ。

 

 だが、帰りは難しい。もっとも難しいのは視線を真っ直ぐに保つことだ。もはや、日本でも私にしかできまい。キリっと前を見据えたまま、まるでビデオテープを巻き戻すかのように来た道を帰っていく。これは誰でもなかなかできることではない。そう自負しているし、私の一番の見せ場だ。中学生の団体に指をさされて笑われることもあるし、暇そうなミュージシャンが凝視してくることもある。そんなことでは心は折れない。動揺もしない。ただ、実直に戻る、だけだ。前進よりも美しい後退、「前向き」な言葉だけが重宝される世の中へのカウンターだとも思っている。ある意味で裏J-POP、有名音楽雑誌にインタビューが掲載される機会があるならば、そう太字で書かれるだろう。

 

 

 

 たまに、ふと、とても悲しい気持ちになることがある。顔に出てしまうこともあるかもしれない。今日は、ルーティンワーク、ひいてはベルトコンベアー、どうせロボ、など、ネガティブな単語が午後に入ったあたりから頭の中を巡って、なんでこんなことをやっているのだろうか、奥の芝居小屋でサスケの役柄などに抜擢されて観客イジりでもしてみたいわぁ、隣の撮影所に今日はどんな芸能人が来てるかしらん、などなど雑念のオンパレード。そういう言葉が浮かんだ後は、どこか忍者として恥ずかしい、そういう気持ちで胸が覆われた。確かに、一度くらい松方弘樹のサインでももらってみたい。そういうミーハーなところは、忍者だけどある。でも、そういうミーハーな心持ちがあってはならないのが本来の忍びのあり様だ。「うわー!家康!」とか、私の先祖は浮かれることなく時代の影を生き抜いてきた。だから私も、こうして陽の当たらない村の片隅で、行ったり来たりを繰り返す、地味でもなんでも繰り返す、どんなに悲しくても。そう心に決めている。

 

 

 今日は少しだけ良いことがあった。「あの忍者、アジカンの山田さんに似てない?」中学生か高校生の一団がキャッキャと私について話していた。子供たちが好きなロックバンドだった。その影響で少しだけかじるように聴いた。忍者でロックを聴いているのは私くらいのものだろう。行って帰っての最中、たまに「ループ&ループ」という曲を口ずさんだりもする。もっとも、ひとに聴こえないようなボリュームで、だけども。なんとなく、「繰り返し」という言葉が恐ろしくピタっとはまる私の毎日を肯定してくれるような、そういう曲なんじゃないかと思う。ボーカルのひとは、なんか理屈っぽくてあまり好きではない。世が世なら、巻きビシのような地味な武器を使いそうな目をしている。メガネをしていても、私には分かる。目が、淀んでいる。ああいうヤツは、良い忍者になる。

 

 村の外は桜が満開だ。だが、週末の嵐で散ってしまうだろう。私は行って、帰る。散って、また来年の春に咲くように、行って、帰る。

 

※この日記はフィクションです。4月4日。

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