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今回は『マシンガンと形容詞』の解説。その前に、2012年の4月8日に書いた「マシンガンと形容詞」という日記を引用します。
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新曲『マシンガンと形容詞』の一節
君の20年後へ 僕らはそっと有るだけのチップをベットしよう
息吸って 毒吐いて 全額スってしまっても
金になんて代えられない
差し出すのが誇りさ
それが愛だって
希望だって
胸を張って言おう
こういう気持ちで『The Future Times』を制作しています。いや、すべての活動、行動にこの気持ちは宿っています。
現代を生きる我々は貨幣的な価値からは逃れられないし、そこから逸脱してしまうのも何か違う。それでも、心のどこかで、等価では交換出来ない何かを持っていること、それを誇りに思う。それはとても曖昧な言葉でしか言い表せないかもしれない。それでも、その曖昧な何かを言葉にし続けてきた歴史を尊敬したい。そして、これからも、言い表しようのない何かを、敢えて言葉で言い表そうと私は努める。それが先人の歴史に続くということだ。詩を書き、歌をうたおうと思う。
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この日記の流れからだと、歌詞の話をしたほうがいいかなぁ...。と思ったけれど、やっぱり全体的に解説するのは嫌です。笑。そこは読んで欲しいなと思う。合ってる間違ってるではなくて、何のことだろう?って自分の作品に接してくれたら、本当に嬉しいです。
でもちょっとだけ書くと、「マシンガン」と「形容詞」って言葉がいつ出てきたのか、俺は覚えていないんです。でも、自分たちの(これは人類って意味で)発明したもので、一番クソなものを抽象化してくれるモノの名前としての言葉ってなんだろうって考えてたんです。それでいて、俺が「クソ」と呼ぶ本能的なフィーリングは根源的なものなんですけれど...。「マシンガン」は、それらの絶対的な代表ではないかもしれないけど、そういうモノのひとつだと思います。そして、その真逆にある発明はなんだろうって考えたんです。それは「言葉そのもの」なんじゃないかって思うんですね。そして(ひとまず言葉とは何かっていう哲学的な命題はポケットにしまって)、その言葉の中でも「比喩」が持つ力が一番強いと思っています(クソなもんをクソだと表せるのも、言葉の持っている大きな力だ)。何かを形容するということ。だから、詩や小説や批評や、言うなら「文学」ってことですね。
「マシンガンと形容詞」はつまり、人間のことです。
うわー!テーマでかっ!!ダサっ!!ゴッチヤバい!ハズい!って思うかもしれないですけれど、大真面目に書いたんですよ。笑。俺は「形容詞」の側に立ちたい。自分の血や肉の中に「マシンガン」的なフィーリングはある。獣だったころの名残なのか、そんな太古の時代よりも暴走したモノを現代の俺らが使っているのかはしらないけれど、俺の中に「絶対にない」感覚だなんて言えないです。でも、それに抗うのは「形容詞」だと思う。言葉だと、俺は思います。そして、まあ、音楽があるんです。音楽だって、僕らのなんらかのフィーリングを喩えているものだと思うから、ある意味で比喩で、言語ですからね。
後半の歌詞はちょっと青いなって自分でも思います。でも、アルバムの中でもっとも好きな曲のひとつです。
曲は俺が自室スタジオでデモを作って皆に聴かせて、スタジオでセッションしてそれぞれのパートをアレンジして作りました。今回のタームではとても珍しいやり方かも。でも、アイデアとしてはマジックディスクの後半くらいから録り溜めてあったもので、本当はソロに使おうと思ってました。だけど、ちゃんと字数の多いヴァース(Aメロ)の曲をアルバム用に書きたかったので、デモをみんなに聴かせました。
アルペジオのパターンがかなり俺の手癖っぽいので、ケンさんが覚えるのに苦労してたと思います。山ちゃんの前半のベースラインが良ですよね。後半の盛り上がっていくところのキヨシのアプローチもとても好きです。イントロから最後まで繰り返す、CS-80V(ソフトシンセ)の三連符のフレーズも気に入ってます。
あと、歌うときに「ケイヨウスィ〜」ってなってしまいます。笑。DJ KAORIで「ケイオリィ」みたいな感じで。笑えるかもだけど、発語したときに気持ち良いんです。やってみて下さい。