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3月11日の次の日は、当たり前だけれど3月12日で、俺たちは3月11日だけ都合良く「震災」を話題の種にするのではなくて、むしろ、震災以降を歩んでいかなければならない。
そうやって未来に目を向けて進むときに、3月11日というモニュメントは有効で、そこに刻みついたり染み付いたりしている悲しみや戸惑いを、「進む」という行為の中で忘れてしまったり置き去りにしてしまわないために効果があるのだと思う。忘れたいというひとには、この日がやってくるだけでたまらないのだろうから、「モニュメント」だなんて言い方は失礼だし、それこそ不謹慎なのかもしれない。それでもこの日には何かを立てて、忘れないでいたい。それは建造物ではなくて、復興という名のもとに町が元に戻ったり新しくなったりしても、変わらずに今日も3月11日からこちらを見ているような、心の中に打ち立てる祈りのような、印がいい。
俺たちが体験したことは、未来を生きるひとたちにとってヒントになることがあると思う。経験を伝えることが、命を守るセーフティネットのように働くこともあると思う。どうやって生き残ったのか、どうやって失ったのか。どうやって立ち直ったのか。何を感じたのか。何を思ったのか。どんな行動をしたのか。その効果はどうだったのか。後悔や戸惑いはあったか。そのなかに幸せはあったか。確かな繋がりのようなものはあったか。あるいは何もなかったのか。
自分で書いておいてなんだけど(しかも気取った書き方で!笑)、こういう単純な問いである必要はないと思う。当たり前だけど、ひとつとして同じ体験はないのだから。「震災」だとか「東北」だとか、そういう言葉でまとめられない想いこそ(そこから疎外される想いも)、残しておくべきだと思う。
例えば、俺たちは先の太平洋戦争について残された言葉によって、戦争の悲惨さを追体験することができる。全く同一の体験ではないのは当たり前だけれど、言葉が残っていることはありがたい。一方で、自分の爺さんや婆さんの言葉にもっと耳を傾けておけば良かったと思う。今更ながら、いろいろ聞いてみたいことがあるのだけれど、一番話を聞きたい爺さんは7年前に亡くなった。
将来に何かが起こるとき、当たり前だけどそのできごとの近くにいるひとも遠くにいるひともいるわけで、それぞれの場所のそれぞれの体験っていうのは掛け替えがない。まあ、偉そうに何を言うわけではないけれど、自分が爺さんになったときに、2年前に感じた戸惑いや、そこから何をはじめたのか、なにがあったのか、ちゃんと話して聞かせるだけの言葉をちゃんと用意したいなと思う。孫とか曾孫(に会えるかは未定だけど...笑)に伝えられるだけの語彙と文体を磨いていきたいなと思う。デカイ声だけが伝わるわけではないので、ああ、この爺さんウルセーけど聴き逃してはいかんことを言っていると思われるような爺様を目指したい。3月14日