酒屋のレジにて
カテゴリ:日記

 

 買い置きの4合瓶を全部空けてしまったので、美味しい清酒でも買おうかしらんと酒屋へ行くことにした。だけれども、普段から行きつけの酒屋もなく、日本酒も貰いものばかりで自分で買ったこともない。教えて!グーグル先生!とばかりにインターネットの門を叩いても、Webサイトを開設している酒屋など皆無に等しく、俺は晩酌を前にして途方に暮れたのであった。

 

 こういう場合はなるべく大きなチェーンの酒屋や百貨店などに行くしか方法がない。仕方がないので、うろ覚えだけれどもあの辺にでっかい酒屋があったなぁというノリで、当てずっぽうで国道を歩いて買い物に出掛けた。

 

 辿り着いた酒屋は流石に大店舗ということでよりどりみどり、吟醸、大吟醸、純米酒、純米吟醸、純米大吟醸、パックの安い酒、なんでも取り揃えてあった。だけども、何でもあるっていうのも困ったもので、なぜならば普段から旨い旨いといって飲んでヘベレケにしてもらっていた清酒は貰いものなのであって、俺は日本酒を自分で選んで買うということをほとんどしたことがない。なによりも知識がない。これは困った。自分は辛口が好きだということは分かっているのだけど、どこくらいの日本酒度のものが好みなのかも分らない。

 

 仕方がないので、ピンからキリまである価格設定のちょうど中間くらいの、中肉中背のような、なんとなく当たり障りのなさそうな、そういう値段の純米吟醸を買うことにしてみた。純米大吟醸を買うという選択肢もあったのだけれど、価格が少し高く、仮に純米大吟醸がメチャメチャ旨かった場合、この後に純米吟醸を試すという選択肢は俺にはないだろう、そういうことを考えると、とりあえず純米吟醸から飲んで気に入ったら純米大吟醸も試してみる、そういう流れのほうが感動が大きいんじゃないか、そう思ったのだった。セコい。外した場合のショックも少ないような気がした。まあ、まだ大吟醸ありますからねー、と、心に言って聞かすことが出来る、ような気がした。さらにセコい。

 

 俺はレジに並んで、会計を待った。そこそこ込んでいて、俺の前には特段健康そうでも不健康そうでもない痩せた婆さんが並んでいた。婆さんは銀の縁の角の丸こい四角いレンズのメガネをしていて、全体的に臙脂(えんじ)色の衣服で、小豆のような外見だった。婆さんはこのデカい酒屋がスーパーの機能をほとんど持っていないにも関わらず、海苔のパックを手にもっていた。前列の親子連れと妙に密着してはいるものの、その子のほうが婆さんに懐いている気配は全くなく、どうやらまるでその親子とは全く関係がないようだった。ただ単に、列を詰め過ぎているようで、少しだけハラハラした。

 

 しばらくすると、乾いた炸裂音がした。ん?俺は耳を疑った。音は確実に婆さんの尻のあたりから聞こえた。あー、婆さんこいたな。完全にこいた。俺はもうのど元まで「なんでやねん」と、関西人でもないのにそうツッコミたい衝動が込み上げてきたけれども、それを飲み込んだ。不慮の屁かもしれない。婆さんとはいえ、レディであるからして、指を指して笑うようなことをしてはいけない。失礼だ。歳を重ねれば、筋力の問題なども出てくるのかもしれない。俺はニヤニヤしないように堪えて何ごともなかったように列に並び続けた。

 

 約20秒から30秒後だった。家に帰ってギターで確認したところ(絶対音感がないので)、恐らくミの音、Eの音で婆さんはもう一度屁をこいた。そして、間髪入れずに、もう一発、婆さんは真後ろに屁をかましたのだった。躊躇の全くない音だった。スコーンと、突き抜けるような屁だった。キース・リチャーズがイントロで弾くギター、を俺は連想した。俺はプっと息を吹き出してしまい、慌てて口を手で塞いだ。婆さんは全く自覚がないような素振りで振り返り、ちょっと忘れたものがあるからここを見といてくれ、そう言い残して酒屋の奥に消えていった。俺はなんだか狐に化かされたような気分になった。夢かもしれない、と思った。屁の匂いは全くしなかった。

 

 しばらくすると、婆さんは戻ってきた。酒屋だから、さすがに酒を買うのを忘れたのだろう、海苔に合う酒はなんだろうか、清酒かビールか焼酎か、そんなことを考えながら婆さんを見ると、海苔のパックをふたつ持っていた。ありがとう、というような感謝の言葉はなかった。

 

 その後、婆さんは前に並んでいる親子にまた密着しはじめて、ほとんど一緒に買うみたいな距離でレジの近くに行き、会計が終わって空になった親子連れの買い物カゴに海苔を放り込んだ。これは怒られるだろうと思って驚いたけれど、親子連れは完全にスルー、店員もスルー、俺はもしかしたら自分にしか婆さんが見えていないのかもしれないと不安になったのだった。

 

 帰り道、小豆色の婆さんは強引に国道を横断して路地に消えて行った。妖怪なのかもしれない、と思った。

 

 俺は清酒を持って帰って開け、ちょっと甘いかもしれんなぁ、今度は純米大吟醸飲も、などと思いながらヘベレケになり、屁をこいて寝た。2月8日。

2013-02-08 1360331220
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