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言葉っていうのは非情に便利で、例えば「中学生」って言ったら義務教育を受ける10代の若者にイメージが集約されると思うんだけど、そのイメージの集まり方から漏れるひとだっているわけ。一体、何人いるんだよ「中学生」って簡単に言ったって、っていう話なので。これ、どんな性質のものでやったって溢れる事象が出てくる。当たり前の話だけど、クローン人間みたいなもんではないので「中学生」は。工業製品とかならまだしも、ね。ポテロング塩味だったら、まあポテロング塩味のイメージからこぼれ落ちるポテロング塩味はないので。
で、まあ、「体罰」でもなんでも、そういうことを語るときには、こういう言葉の性質は無視されて、皆でイメージをとにかくひとつの場所に集約してしまう。物事ってのは多面的なのにね。関わる人が違えば、やっぱりなにもかも違う。そういう何もかも違うことを理解したうえで共通項を見つける作業だったら、それこそ学問になっていくのだろうけれど、そうではなくて、まずはある言葉のもとにイメージをまとめて、ツルッツルののっぺらぼうにして、そこにいる人の顔をなくしてから語るっていうのが、俺たちの悪しき習慣だと思う。
多面的だよ。2月4日。