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箭内さんに誘っていただいて、『風とロック LIVE福島』というイベントに出演しました。このイベント/ツアーのwebサイトにはこんな言葉があります。
福島を忘れないでもらうため。
支えてくれる全国の人たちにありがとうを伝えるため。
全国にいる福島から避難をしている人たちに会うため。
福島に住む人たちがそこに出掛ける小旅行のきっかけになるように。
大きな苦難を乗り越えて来た地を、先輩方を、ちゃんと知るために。
そのすべてをつなぐために。
この6行の文を読むと、本当にいろいろな言葉が頭の中に浮かび上がってきます。それはまとめるのが難しいくらいの量で、今こうして日記に書きつけようとしても、タイプしては削除してを繰り返しています。打ち込んだ側から、本当に宛てどころにしたい場所から遠のいていくような、そんな気持ちになります。まったくうまく書けない。書くことが誰かを傷つけたり、さらなる分断を生むのではないかという迷いももちろんあります。それくらいの混沌を、ここ2年の間に僕らは抱え込んでしまいました。
でも、本当のところは、とてもシンプルなんだと思います。箭内さんたちの想いが詰まった「two Shot」という曲の一節を引用します。
「君と僕の 違うところを 尊敬しあいたい」
様々な分断に抗うには、結局この言葉なんだと思うのです。様々な立場の、様々な考え方を、お互いに認め合うこと。これは簡単に書けるけれど、難しいことでもあります。これができれば、そもそも宗教間の戦争もないし、イデオロギーなんて言葉もないだろうし。だからこの歌詞は、箭内さん流の「イマジン」のような言葉だと思うのです。ジョン・レノンが「and the world will live as one」って歌うのは、こういう感覚なんだろうなって。全体にまるっこい言葉使いなところがまた、箭内さんの、そこに集うスタッフたちの優しさを表していますよね(時間があったら俺と箭内さんの対談記事を読んでみて下さい)。
忘れないってこと、続けていくということが、これからテーマになってくると思います。そして、箭内さんのこのまるっこい言葉使いのように、俺も新しい言葉使いを考えなければならないなぁと感じます。自分も含めた世間ってヤツはあまりに忘れっぽいし、社会に響かせるべく発し始めた言葉はどんどん尖っていってしまうのが世の常です。志が変わらなくても、そういう力学が働いてしまいます。そういうことに意識的でありたいと俺は強く思います。
実害と風評被害に戸惑う人たちや、そこにある不安や、避難してきたことに後ろめたさを感じている母親たちや、最前線で事故の処理に取り組む人たちや、東京電力で働いている社員たちとその家族の心情や、俺がここにすべて書き記せないことも含めて、想像では届かないそれぞれの想いが、それぞれの場所にあるんだってことを、ちゃんと胸の中に刻み付けて、進んでいきたいと思います。うまく言えないけれど、どれにも寄り添いたいし、寄り添うなんていう言葉がないくらい、自然な距離でいられたらなと思います。あらゆる偏見なしに、触れたいとも思います。
うまくまとまらないないな。でも、なんというか、こういうところに言葉を綴ることだけではなくて、パソコンの画面の外の、俺の身体を使った行動で、それを続けることで、自分がここに今日書いたことを実体化させていきたいなって思います。それでしか、ないと思うんです。思わなければ始まらないけれど、思うだけではどこへも行けないですから。そういう決意と、「優しさ」に対する気づきをもらったイベントでした。参加できてとても嬉しかったです。
ありがとうございました。2月3日。