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ワタリウムという外苑前の美術館。坂口恭平君と森本千絵さんの展覧会。いろいろなものがこんこんと沸き出していて、それぞれに、圧倒的だった。坂口君は彼の絵画にもあるように、脳から沸き出す建造物のようでもあった。脳から沸き出したものに、ガッシャンガッシャンと新しい部品が外部から張り付いて、それ自体が膨れ上がるための原動力にもなっている。そういうものに感じた。一方で森本さんは水でなくて綿が湧く井戸を連想した。綿っていうのは良くみてみると、まったく把握できないくらい細い繊維が縦横無尽に絡まり合っている。一見柔らかい、が、とても複雑なのだ。それが糸になり、布になる。衣服にもなるし、家具にもなる。同じコラージュでも、ふたりのコラージュは質感と向きが違う。そんなことを感じた。あと、俺もなんか、どんどん作らねばと、焦った。
東京都現代美術館で行われている『アートと音楽』。清澄白河で今の気分にフィットする飲食店を発見できず、これならば表参道とかのオサレなカフェとか寄っときゃ良かったとか思いつつ入った汚い定食屋が美味かった。実用洋食と書かれている店だった。俺はこういう定食屋が好きだ。
くるりの武道館。エモーショナルだった。「東京」という曲の、10代とか20代前半の、あの東京に来た頃のどうしようもない気持ちを代弁してくれている感を、ほんとうにどうしようもなく羨ましく思った。武道館で今くるりが鳴らしている豊穣よりも、俺が奔放に青春を別方向に脱臼していた頃、同世代のミュージシャンが既にこんなにも素晴らしい曲を書いていたことが、なんか悔しいなぁと思った。俺が阿呆なことばっかり、それこそチンポ弄ったり(それは彼らもしてたかもしれんけど)、小さい球ころ投げて打ったり、そういうことをしている間に、こんな名曲を作っていた。凄いなぁと思う。何年経っても色褪せない、ええ曲書きたいなぁと思った。
細美君のイベント。楽しかった。トシロウさんの弾語りが、とても良かった。ブラフマンのときとは違った、素に近い、ミュージシャンとしてのトシロウさんを観て、感動した。フロアではなくて、なぜか屋外のテントのほうが落ち着くバンドマンたち、という光景が笑えた。終演後はウエノさんに、俺がいかにミッシェルガンエレファントに憧れ、影響を受け、こうして話をできていることに感動しているのかを伝えるという、ウザイ後輩になってしまった。
以上、雑記。1月18日。