18年
カテゴリ:日記

 

 1月17日は阪神淡路大震災が起こった日。

 

 当時の俺は18歳になったばかりの高校生で、その記憶すら怪しいのだけど、多分、それは俺が自分のことで精一杯だったからだと思う。

 

 高校での3年間、俺はとりあえず寝ていて叱られない授業は全部寝ていた。だからもう、受験勉強というか受験そのものに乗り遅れたし、夏も秋も過ぎて冬くらいになって受験用の補習だったか選択クラスだったか、そういう特別授業どうすんの?的なことを友人から聞かれて、うわー!みたいになって進路のことを考えたように記憶している。ひとまず、「なんか古着屋でもやりたいから、そっち系の専門学校行こうかなぁ」みたいなことを親に言って叱られ、じゃあ、次に興味あるのは農業なんで、そういう大学探します、あら、なぜか得意な生物が受験科目じゃないですか、しかも、理系なのに3年間無視し続けた数学ではなくて国語でも受験可、日本語だったらなんとかなるかもしらん、じゃあ、農学部志望(文系クラス所属なのに)。そういうことで、もうなんていうの、3年間煮詰めたダメさと無計画の集大成に取りかかって、一応、焦燥感と将来への不安だけは一人前に高まって、大変なことになっていた。

 

 そういう中の大震災だった。

 

 俺はテレビと新聞の中の情報でしか震災には触れられなかったし、それを自分のことのように感じる想像力も持ってなかった。だから、受験の最中に起きたことなのか、それが終わってから起きたことなのかもあまり良く覚えていない。恐らく、同級生の中には関西の大学を受験した人や進路として入学が決まっていた人もいただろう。恥ずかしながら、そういうことすら気にする余裕は、無かったんだと思う。田舎の町からは神戸の街の規模は想像もつかなかったし、どこか絵空事のように感じていたのかもしれないし、最初に書いたように俺は俺で精一杯だったのだと思う。

 

 同じ年の3月に起こった『地下鉄サリン事件』のことは異様に覚えている。俺はそのとき東京での浪人生活を始めたばかりで、新聞を配っていたのもあって連日関連ニュースで溢れていたし、下宿先に実家からの荷物を運搬してくれた両親の車が静岡ナンバーということで検問にひっかかったり、割とニュース自体を自分から近いものごととして受け取っていたのだと思う。それでもショックはなかった。SF映画か火曜サスペンスか、そういう非現実的な感覚が先行した。それよりも、東京のかなり隅っこのほうで始まった新しい生活と、まったく行き先の見えない人生ってやつの、高校三年間という鍋の底に張り付いたダメさとは別の、あたらしいダメさに向かってまっしぐらだった。今度は孤独、みたいなもんと格闘していた。濃い闇の中で真っ青だった。

 

 ツイッターで、「お前にとって震災は今回のものだけか」と、そういうふうに絡んでくる人がある。もっと言えば、「原発事故がないゆえに、お前は他の震災を語らんのか」と。そういうわけではもちろんありません。語るべき言葉を持っていない俺が、なんとなしの追悼コメントをどこかに書くことのほうが、白々しいように思えてしまうというか...。地震が起こった日だけをモニュメントのように取り扱って、「追悼」とか呟いて、何かをした気になってはいけない人間なんです、俺は。もう少し、時間をかけて、その頃のことを思い出したり、自分以外のことに無頓着だったことを恥ずかしく思ったり、関連する本を読んだり、そうやってゆっくり考えて感じて、ちゃんと言葉にしたいと思います。

 

 言葉というか、行動かな。阪神淡路大震災のときにできなかったこと(あるいは、そのほかの地震や災害でも)、を、やりたいというか...。恥ずかしさとか、後ろめたさとか、戒めとか、そういうことを越えて、もっと体温に近い気持ちで、何かが起こったときに自然と手を差し出せるような人間でいたい。行動そのものが追悼になるように、18年前の自分の矮小さから学んで、成長していきたい。

 

 そんなことを思います。1月17日。

 

 

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