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電車に乗っていると、誰かの電話が鳴った。デフォルト設定みたいな音が電車内に響いている。最近はマナーモードじゃない人もちょこちょこいるんだなぁなんて思っていたら、そのオッサンは自宅いるかのように電話に出た。俺は吃驚して、結構眼鏡のレンズの屈折によって皆からは若干小さめに見えている目を見開いて、その驚きを地味に表現したわけだけれども、それはオッサンが俺の目の前の席ではなくて、横並びで5席くらい向こうだったからできたことで、俺は目を元に戻してどんなオッサンかをこっそり確認した。オッサンは半分くらい白髪が混じった半分ロマンスグレーといった感じで、どこのチームのものかよく分からない小汚いベースボールキャップを被っていた。
オッサンはしばらくなんでもない挨拶の延長みたいな話をしたあとで、おもむろに「お前、100円持ってる?」と電話相手に訪ねた。良く意味がわからないが、とにかく100円という小額な金を無心している。そして、3回くらい同じことを聞いて、その後で急にトーンダウンして電話を切ったのだった。どうやら、100円を強請ってはみたが、失敗したらしい。
そして、続けざまに「もしもし?」と別の相手の電話をし始めた。今度は自分から電話したらしい。「◯◯、お前、100円持ってないかぁ?」また同じことを言っている。俺はその会話の意味も目的も全く分からず、もしかしたらここは何らかの磁場によって発生したパラドクスを煮詰めたような空間で、一切の物事が無意味、または混乱のような状況で存在しており、思えば隣のババアの目が枝豆のような気がしないでもない。そういう妄想に取り憑かれて大脳を脱臼しかけたのだった。俺は慌てて三島由紀夫の文庫本を開いて、意識を活字に集中、なんとか自我を保った。
電車は割と大きめのハブのような役割の駅についた。そして、遂にオッサンは「◯◯、100円持ってないかぁ?」と何人か目の相手と電話をしながら、ホームに消えていった。俺はとりあえず、そこまでの数分をなかったことにして、文庫本に集中した。1月16日。