『ランドマーク』全曲解説 「AとZ」
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 アジカンの最新アルバム『ランドマーク』全曲解説、4曲目「AとZ」です。

 

 この曲はキヨシの作曲ですね。俺が参加しないスタジオでのセッションは、キヨシがバンマス的な役割をどうもしているみたいなんですよ。俺が原曲を聴いたときには、大体の全体像は出来上がってました。リズムパターンやベースラインも。デモを聴いてやりたいことというか、どこから影響を受けてこうなっているのかが分かったので、それにメロディを付けて、ウワモノ、全体の構成を考えました。ギターのフレーズは強烈な指定がキヨシから建さんに出ていて、ちょっと喧嘩になってましたけど。笑。

 

 曲中のシンセはキヨシが弾いています。Cubaseに添付されているソフトシンセじゃないかなと思います、確か。それをプリプロ(本番の録音に対するリハーサル)のときにキヨシがダビングしていて、それをそのまま使いました。どうしてそのままかというと、俺の勘では、キヨシが家に持って帰ってアレンジしなおすと、変に洗練されて(キヨシは真面目なので)逆にダサくなるんじゃないかって思ったんです。こういう、本番ではないときに作った偶発的なサウンドって実はおいしいところが沢山あって、それはMIDIとかで開いて理屈を分析して手直しすると失われる類の良さなんですね。「なんか良い」ってのも、悔しいところでもあるけれど、音楽の魅力なんですよね。ガチガチのロジックとか、音響物理学で解析しない、できない良さってのも確実にあります。再現できないニュアンスや音像とか。何カ所かで重ねているギターノイズも俺が一発録音で弾いたもので、同じように何度も録り直したりはしてません。

 

 ギターはボスのディレイのワープ機能を使って、かなり残響音を長くしてドワーンと、シューゲイザーみたいな雰囲気にしています。膜のようなバッキングというか。リズムが割とパキっとパーカッションによって強調されているので、ギターは空間系のエフェクトで覆うように塗るというか、そういうイメージ。ボーカルにディレイをかけて、そのディレイ音に対してコーラスを重ねる。これもなんというか、ドローンとした雰囲気というか曲の浮遊感に合わせて考えました。

 

 で、歌詞。これはABCDとアルファベット順で言葉遊びをしています。「EFGの叡智(H)」とか「得る(L)ものはないか」とか、「VW」はフォルクスワーゲンだったり。これも日本語でしか分からないやり方ですよね。他の国の言語に訳してもどこが「遊び」なのか、全く理解されないと思います。笑。後は皮肉というか、憂いというか、そういうことを書いています。内容については、全体で「何のこと言ってんだろう?」って考えてもらえたら...。実は、このアルバムの中で一番キツい歌詞なんだと書いた本人は思ってます。これが「AtoZ」ではあまりにヘヴィなので、「AとZ」という曲名にしました。

 

 歌詞については、これ以上説明したくない曲です。

 

 

 とにかく、リズムの組み方が良いですよね。キヨシのアイデアが炸裂していて、すごく良い。

 

 でも、いっつもキヨシの作曲って怖いんです。なぜかというと、リズム以外への批評性が全くないので、例えば、皆でサビメロ考えよう!みたいな遊びをスタジオの空気が煮詰まったときにやるわけです。そうするとキヨシも一応メロディを考えて歌うんですけど、その曲ジブリじゃねえ?っつうか、「♪あのち〜へいせ〜ん」っていうラピュタのメロディのまんまじゃねえ?っていうことがおきるわけです。無意識で。笑。これってすごく怖いじゃないですか。引用とかオマージュとか、そういう意識もなくラピュタって、そんな超有名なメロディを自分らの曲に合わせて歌うって、阿呆ですよ、どう考えても。何かに似てるとかいうレベルじゃねえぞ、それ、っていう。笑。えらいことになると、尻の穴の毛まで訴訟で持っていかれますよ、と。笑。

 

 でも逆に、ドラムなどのリズムに関しては、能力が高いんですけどね。キヨシ。あー、ひとって得意なチャンネルというか、働く感覚って違うんだなって、逆に感心します。

 

 普段から考えていることは、咀嚼っていう行為が自動的に自分の中で起こるんですね。作曲とかもそう。表現をしている人は、そういう行為をしているはずです。自分が影響を受ける表現物が何かあったとして、それをそのまま無意識でやってしまうと(つまり咀嚼しない)「あー」ってなるし、意識的になにからなにまで真似たら「パクリ」だし、そういうのを意図的に引用するのはアリですよね。何の影響もないところから、いきなり何かを作るひとはいません。例えば、親の言葉を聞いて、僕らは言葉を思えるわけだし。生まれてこの方音楽を聴いたことがないけど、とんでもない曲を作曲しましたという人はいません。何らかの影響は絶対に受けています。それの発露の仕方、させ方、っていうのが表現の面白みですよね。創るときも、観賞するときも。ただ、そういう影響のことを考えずに、全部「パクリ」みたいにしてしまう人が多いですけどね。それは、さすがに「分かってねぇなぁ」と思います。

 

 つまり、表現物って聴き手感じ手次第のところがあるんですよ。例えば、Aというバンドの新曲にBという音楽家のとある曲のワンフレーズが引用される。それは原曲の曲想や曲名から得られるイメージがAというバンドの楽曲の歌詞とリンクしているからで、それを分かるようにバンド側は新曲に閉じ込めたとする。これを気づかない人が、実際には沢山いるわけです。まあ、それも、別に仕方のないことですけれど、その意味を知ったときの感動というか、理解の広がりというのもありますよね。パーっと目の前が開けるような。でも、これを分かったうえでというか、表層的にパクりとしてしまう人もいるかもしれない。その場合、分かってないのはどっちだ?みたいな。ね。

 

 あ、好きで好きで咀嚼しすぎて、血や肉になってしまうこともあります。俺にとってはoasisとかweezerとか、ナンバーガールとか、イースタンユースとか、もう血になってしまっているので、どっかで体臭として匂っています(そういえば、10代や20代の前半に食ったものかも)。香水で隠しても、絶対匂う。笑。まあ、それはツリーというか、流れというか、続いていくものです。続いてきたものだし。どこまで離れても、残ってしまう。まあ、誇りのようなものでもありますから。

 

 ただ、さっき食ったマックの匂いがする、みたいなのは、良い場合と悪い場合があるよね。笑。喩えとして。

 

 長くなりました。また全然関係ない話に着地してしまいましたが、これ、楽曲の解説として面白いんでしょうか?

 

 謎ですが、まあ、最後までやりますね。1月15日。

2013-01-15 1358212440
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