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いつの間にか「バイキング」ではなくて「ビュッフェ」という呼び名が定着しつつある飲食店の食べ放題。ただ、「今度レストランの食べ放題行ってきます」などと誰かに伝えようとすると、「食べ放題」に宿る“安さ”が強烈に匂い立って、「アイツ、正月から阿呆みたいに料理を盛り狂って、吝嗇(ケチ)なんだな」とか「セコイ」とか言われてしまいそうな気がする。実際には小食で、毎度、設定された値段の半分も食べられていないという実感があるのに、吝嗇だなんて思われるのはあんまりだ。だけれども「レストランのビュッフェ行ってくるわー」という科白の場合にはそういった“安さ”は感じられず、むしろ「お得な値段でローストビーフにむしゃぶりつくんだろか」というような羨望が混じる、ような気がする。それが全く同じ店の同じ料理だったとしても、だ。これは凄いことだなぁと思う。バイキングに宿るそこはかとない阿呆な質感も不思議だ。これは「ビュッフェ」という呼称の登場によるものだと思う。
俺は精神が卑屈なので、ビュッフェに行くと心を骨折してしまう。まずはもう、人が群がって料理の前に並んでいるのが苦手で、それに混ざるのも苦手で、オバちゃんなどに押しのけられたりしようものならオバちゃんが前面に表した欲望に当てられ、自分もその欲望と一体となってズッブズブの沼に沈んで行くような気分になって、料理どころではなくなってしまう。また、繊細な味加減の魚介の炒め物の取分け用スプーンに隣の皿のパエリアがギッチギチに張り付いているのを見たりして、その場で自分の頭蓋骨を綺麗に割って脳みそごと皆に食してもらう形でこの世から消えたい、なんて思ってしまうこともある。なにより、あまり量が食えない。おまけに獣肉をひかえているので、食べられる料理が少ない。もうボロ負け、じゃあなんでそういう場所に行くのか、それは付き合いだから仕方ないわけで、俺に言われても困る。参ったな。このままでは食事の場を地獄のような雰囲気にしてしまう、酒だな、飲むしかない、ということでシャンパンを注文。そうすると別料金なのが当たり前で、しかも、その値段だったら2杯で一本買えますなぁという価格設定だったりして、増々「ビュッフェに負けたわぁ」感が強くなってしまう。そして、大体が、最初から「勝ち」とか「負け」とか言ってること自体が俺を大きい意味での負けに引きずり込んでいるわけで、そういう卑屈なメンタリティをなんとかしたい、それが今年の目標。
例えば、3000円分食えたかどうかよりも、お金に換算できない感情をどれだけ得られたのか。だよなぁ。1月3日。