日本酒って良いよね
カテゴリ:日記

 

 ここ一年くらいで、急に日本酒が好きになった。

 

 日本酒というと近所の公民館などで隣組のオッサンたちがサキイカや一口大のサイコロのようなカツオの乾きもの、枝豆、赤い海老の入った仕出し料理などと一緒に飲んでいるもので、陽気な雰囲気は嫌いではないけれどオッサンたちの呼気の匂いにヤラレてしまって、なんだか良い思い出はなかった。あとは大学時代とかに一気させられる日本酒はものすごく甘いわけのわからん銘柄であることが多かったため、大概、焼酎(これまた大五郎などの巨大ペットボトル酒)などとチャンポン、「一気飲みせよ」などという先輩風に腹を立て、この際は俺に飲ませたことを後悔させてやるとばかりに痛飲、ゴミ捨て場で発見されるなどという記憶も重なって、好んで飲む酒としては、その対象から外れていた。

 

 遡ること震災前。俺は農業に興味を持った。親父の実家が農家ということもある。だけどもこれは、まあ、話すと長くなるのでなるべく手短かに書くけれど、狩猟採集と農耕についてずっとここ数年考えていて、それはTHE FUTURE TIMESの中沢新一先生との対談でも触れているけれど、音楽や生活様式や文化とか文明とか、様々な日本のあれこれについても延長させて考えていた。で、恐らく、直感として、俺の知りたい芸術の感覚というか捧げ先は縄文時代の頃のものなのだけど、それを知る為には徹底的に農耕、つまり現代へと血脈が続いているものにアプローチせねばならん、だったら稲作をやってみないといけない、そいうこところ着地したわけだった。

 

 そして元来、はっきり言えば、俺は水路フェチだ。生まれ育った静岡県の島田市は、その中央を大井川という川が流れていて、この一帯は暴れ川と言われた大井川との格闘が町や集落の歴史でもある。ゆえに、まあ、水路についての見学やら授業が多かった。郷土史としての治水というのがどっかりと腰を据えていて、これが結構面白くて好きだった。1kmくらいはある川幅の地下を農水路が渡っていたりする場所があって、子供ながらに驚いた。怖いとも思った。毎晩、毎晩、田植えの季節に増水した水路に落ちる夢を見た。

 

 そして震災後、仙台市の農家を訪ねたときに見た水田の被害ははっきりとショックだった。泥を被った水田もさることながら、水路がメチャメチャになっていたことが衝撃だった。それを見てまわって、その復旧の難しさを想像したわけだけど、同時に、なんたる技術なのかと驚いた。瓦礫や泥で埋まってしまう前の水路の、そこまでの道のりというか技術の積み重ねを考えると、「ぬぉ〜」とわけの分からん感嘆の声しかなかった。とんでもない歳月をかけて稲作の技術というのは改良されながら伝承されてきたわけで、それはもちろん米作りだけではなくて水路などにも活かされている。それがぶっ壊れてしまうほどの被害の大きさにもショックを受けたけれど、そうではなくて、こうして泣く泣く農地が失われている場所もあるのに、適当に放ったらかして失われて行く技術もあるのだということを想像して、情けないような悲しいような気持ちになった。こういう喪失は、稲作だけではないだろう、様々な分野であることだろうと思った。

 

 ほいで、まあ、そこから直!という回路ではないけれど、いろいろな地域をまわって、見たり食べたり感じたりするうちに、日本の日本性みたいなものが、増々好きになってきた。日本酒も米のお酒だし飲んでみようかしらん、と思ってエエやつを飲んだらものすごく美味かった。隣でドラムの潔が毎回「フルーティー」と全く同じことしか言わないので、こいつは莫迦なのかと思ったりもしたが、確かにフルーティーな日本酒はあった。身体も冷えないように感じた。温まる。そして、またそういう酒作りの技術とか、酵母の歴史とか、そういうものを想像して感動した。それでどんどん深みにハマって、最近はいろいろな日本酒を飲んでいる。魚介類との相性が良いのも驚きだ。何しろ、海に囲まれた国なのだから。美味い酒と魚介(干したヤツとか)。やっぱり海を汚してはいけない、海を豊かにする森を大事にしないといけない、という発想は、どっしりと息づいているわけだ。のんべえが許さない。笑

 

 こういうふうに、なんとなく触れているものの中に、ずっと受け継いで来た伝統がある。だけど、それに接続しづらいようにも感じる。意識しないと分からない。例えば、音楽だって、僕らは本当の「邦楽」を知らない。J-POPは西洋の音階をガンガン使っているし、小学校から平均律という西洋の音階を授業で学ぶわけで、日本の伝統的な音楽に触れる機会はそんなに多くない。尺八の音色を聴いて、懐かしー!!とはならないものね。そういう意味で、俺たちは日本的な何か、アイデンティティのようなものを次第に薄めながら暮らしているのではないか、みたいなこともよく考える。だからと言って、明日から丁髷(ちょんまげ)を結ったりするわけにはいかないけれど。

 

 似たような理由で、相撲が好きだ。

 

 こういう、自分の生まれた国の愛し方も、俺は大事なんじゃないかと思う。そんなことを考えながら、自分で焼いたよく分からん地鶏をつつき、シャンパンも一口飲んだけれど、純米大吟醸の清酒をコップ一杯飲んで気絶した。メリクリ。12月24日。

2012-12-24 1356299760
©2010 Sony Music Entertainment(Japan) Inc. All rights Reserved.