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スーパーへ買い物に出掛けると、クリスマス・イブの前日とあってか店内はクリスマスの音楽が繰り返し流れていた。ああ、年の瀬だなぁなんて思っていると、調子はずれのラップのようなものがクリスマス音楽に被さりだして青果売り場はなんだかよくわからんがカオス、というような雰囲気になっていた。
俺の違和感とは裏腹に周りの爺さん婆さんたちは音楽に耳を留めもせず、かずのこ、ごまめ、蟹、みかん、などクリスマスとは関係のない品々を物色中で、俺にはどうしてこの混沌としたBGMを聞き流せるのかがさっぱりわからない。わからないけれど、とりあえずトイレクイックルはどこかしらんと青果売り場を突っ切って雑貨の場所を目指すと、青果売り場の一番奥に不穏なラップの犯人が居たのだった。
餅だった。とはいえ、餅が喋ったりラップしていたわけではない。餅売り場の餅を売るための映像に添付された音声がたまたま館内のクリスマス音楽となんとなく絶妙な感じで意図しないマッシュアップ状態になってしまって、それに耳を持って行かれてなんじゃこりゃとなっていたのは俺だけだった、という話だった。クリスマスの終わりを、餅メーカーが待てなかったということだ。
考えてもみれば、クリスマスがここまで普及するまで年末は餅屋や正月飾り屋の独壇場であったに違いない。店先の年末商戦の平台の確保など、営業マンの並々ならぬ努力によって争奪戦が繰り広げられているに違いない。俺がスーパーの店長でも、25日まではクリスマスでいきたい。だが、この店は違った。そこに餅屋がガッツリ食い込んだ。展開されていたのが青果売り場であるというところに、この餅屋の営業マンの人心掌握術の高さを見た。
或いは、青果売り場の担当が大のクリスマス嫌いだったのかもしれない。クリスマス、俺は知らねぇ。というような硬派な男だったのかもしれない。聖夜じゃなくて性夜だね、なんていうダジャレというか皮肉のひとつも言って現代風俗の乱れを嘆くような古風な正義漢だったのかもしれない。いずれにせよ、売り場担当は、「ウチはクリスマスだろうが餅一本でいきます」という意気込みだったのだろう。清々しい。
だが、この店のBGMがクリスマス一色だったところをみると、店長は青果売り場の担当のことを苦々しく思っていたのではないかと思う。店としては、このクリスマス商戦で売りこぼしたくない。年末商戦はサービスカウンター付近でのお歳暮各種、餅は通常の餅売り場から展開を始めて順次拡大していけばよろしい。なにもクリスマスの青果売り場にぶっ込む必要はどこにもない。クリスマスに餅食わねぇだろうし、買い置くにも少し早いんじゃねえか、そう思ったに違いない。そして、チキンの特設売り場でも作ったほうが店の売上げアップには繋がる、そう思っていたのではないかと推測する。
だが、結果、売り場は餅だった。餅という選択だった。そこにどんなドラマがあったのかはしらない。「よし。お前に任せた。餅で行こう」そういう店長の決断があったのだろうか。分からん。分からんし、どうでもいい。心の底からどうでもいい。そう思いながら店を後にした。12月23日。